藤沢 社会
公開日:2025.08.15
市内の空襲被害
終戦間際、周辺地域から余波
藤沢市も、太平洋戦争末期の空襲と無縁ではなかった。本格的な爆撃対象ではなかったが、横浜や川崎など周辺地域の空襲の余波を受ける形で、1945年5月ごろには、B29や艦載機、P51による爆撃や銃撃が相次いだ。
特に深刻な被害が出たのは、終戦間際の7月30日だ。軍需工場だった住友特殊製鋼(現在の辻堂駅北口あたり)が標的となり、艦載機約20機が襲来した。この攻撃で小型爆弾(100キログラム位)20数発と焼夷弾相当数が投下され、機銃掃射も行われた。工場は甚大な被害を受け、5人の尊い命が失われた。
当時の市民生活は厳しく、配給制度や食糧増産のための勤労奉仕が定着していた。京浜方面からの疎開者を受け入れる役割も担っていた。敗戦直後の県発表によると、藤沢市全体の空襲被害は死者21人、重傷16人、軽傷23人に上る。建物被害も全焼8戸、全壊12戸などが記録されている。
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