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藤沢 文化

公開日:2025.08.15

夫婦それぞれの戦争体験
善行在住 野中美久さん(91)・妙子さん(89)

  • 場所や時間は違えど空襲を経験した記憶を辿る野中妙子さん(左)と美久さん

 善行に住む野中美久さん(91)・妙子さん(89)夫妻は子どもの頃、湯河原と小田原でそれぞれ空襲を経験した。心臓が凍り付くような体験を経て、たどり着いた答えはひとつ。「戦争はなくさなければならない」

いとこを奪った機銃掃射

 妙子さんは湯河原で空襲を受けた。警報が鳴り響くと、機銃掃射から身を守るため家族と共に押し入れの下段に隠れた。「はやく終わってほしいと思いながら隠れていた」と振り返る。弾除けとして上段から厚手の布団を垂らしていた。「ガラガラと飛行機が近づいてくる音が、未だに頭に残っています」と話す。

 自分や家族は難を逃れたが、現在の高校生くらいの年齢に当たるいとこは凶弾に倒れた。湯河原駅にいたいとこは警報を聞き、すぐさま構内の椅子の裏に身を潜めた。しかし、無情にも銃弾は椅子を貫通。二の腕から腹部までを貫いた。「病院に運ばれたが亡くなった。椅子を破るくらいなら、布団なんかじゃ意味がなかった」。いとこを失った悲しみの中で思ったのは、兵器の恐ろしさだった。

「パイロットの顔が見えた」

 美久さんは小田原で戦闘機と遭遇した。1945年、国民学校の6年生だった。終戦直前のある日、空襲警報が止んだため友人とふたりで田んぼのあぜ道を歩いて通学していると、後ろから突然戦闘機の音が近づいてきた。驚いて振り返ると、低空飛行をするアメリカ軍のP51戦闘機が目に入る。瞬時に「駄目だ、終わった」と死を悟った。その距離は「パイロットの顔も見えた」ほどだった。しかし、米軍機は美久さんたちを撃つことなく、そのまま飛び去った。「あっちもこちらが子どもだと分かったから撃たなかったのではないか」と考えている。

 戦時下、場所は違えど共に身近に死を感じた野中夫妻。「次世代の人たちに当時を知ってほしい」と取材に応じてくれた。

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