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栄区 トップニュース教育

公開日:2016.11.24

千(せん)に秀(ひい)で 140年の歴史刻む
関係者集い、節目祝う

  • 式典であいさつする磯崎保和実行委員長

  • 校舎にも「千秀」の校名が刻まれている

 市立千秀小学校(市川幸男校長、田谷町1832)が今年11月で開校140年を迎え、それを記念する式典と祝賀会を11月20日に同校体育館で実施した。当日は地域の自治会や学校関係者、同窓会員ら約160人が出席。各種団体の代表や区選出の県・市会議員らも招かれ、節目の年を祝うとともに、同校からの更なる人材の輩出に期待を寄せた。

 明治9年11月15日、当時の田谷・長尾台・金井・小雀・飯島・長沼の6カ村により、公立小学千秀学校という校名で設立された同校。「千秀」という名前は「千に秀でる」という教育の理想を表現したと伝えられている。

 式典では、創立140周年事業実行委員会を代表して磯崎保和実行委員長があいさつ。自身も同校同窓生の一人であることを話しながら「千秀という名前に先人たちの熱い思いを感じる。校名は時代の波にのまれて変遷したが、このような高名な名前が付けられている学校は他にはなく、誇らしく思う。これからも学校と子どもたちを大事に守っていきたい」と、今後の支援を誓った。

 同校の市川校長は「”裸足の千秀”と呼ばれるほど、素直で明るく人懐こい健康優良児が揃っている」と、同校児童たちの校内での様子を紹介。また、来賓を代表して登壇した小山内いづ美区長は、「栄区ではコミュニティの醸成を目指しているが、千秀小学校出身の皆さんにはとても支えられている。これからも一緒に未来を担う人材を育てていきたい」と祝辞を述べた。

改称重ね「千秀」復活

 同校では設立以来、市制や町村制の交付などによって幾多の校名改称を余儀なくされた。明治23年10月7日には小学校令公布により鎌倉郡長尾村立千秀小学校に改名。大正5年4月1日には豊田村立尋常高等小学校田谷分教場となり、昭和16年4月1日からは国民学校令によって横浜市豊田国民学校田谷分校に改称された。終戦後の22年8月からは、横浜市立豊田小学校田谷分校に。41年4月には横浜市立千秀小学校として再び開校し、「千秀」の名前を復活させた。

 平成に入り、給食棟改築(元年)や体育倉庫新築(4年)、校内LAN整備(17年)、普通教室エアコン設置(25年)など、児童たちの教育環境整備も進められた。18年度には、時代の要請や地域の特性に応じた教育を提供していくモデル校「パイオニアスクールよこはま」に認定。25年度からは通学区域外からの就学を認める通学区域特認校の指定を受け、特別スポーツクラブ設置による体力作りの推進などに取り組んでいる。

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