古民家山十邸で中津箒について講演した 柳川 直子さん 愛川町中津在住
「箒」を語ると止まらない
○…明治から昭和にかけて中津村の一大産業となった「中津箒」。柔らかいのにコシがあり、丈夫な箒として知られたが、戦後は海外の安い労働力や掃除機の流通など時代の流れで衰退していった。この中津箒を後世に残すため、2003年に株式会社まちづくり山上を設立。中津にある箒博物館「市民蔵常右衛門」を拠点に、中津箒の販売展示や実演、講演を行っている。
○…愛川町の古民家山十邸で9月に行われた講演では、中津箒の歴史や当時の職人の暮らしだけでなく、これからの箒のあり方まで広く語った。「家の間取りやスタイルにあわせて箒の種類はたくさん。机の上をさっと掃除できたり、壁に飾っておけたり、時代に合わせて様々な形に広がっているんです」と、箒の魅力を語りだすと止まらない。
○…生まれは中津。実家は箒屋で幼少の頃から箒を見て育った。「職人さんが毎日箒を作っていました」と振り返る。当時は京都や大阪にも支店があったという。「子どもの頃は忙しくて『お菓子屋だったらよかったのに』って思っていました」と笑う。高校卒業後、都内の大学に進学し、神田の特殊紙を扱う会社に就職。結婚後3人の子どもに恵まれた。両親の介護もあって中津に戻っていたが、かつての京都支店の職人から届けられた一本の漆塗りの箒が、自身の進む道を変えた。「あぁ、こんな素晴らしい箒を作れる職人さんがいるなら、次の世代につなげなきゃ」と、活動をスタート。職人たちの高齢化、素材となるホウキモロコシの減少など課題は山積みだったが、現在では専門店やデパートでの展示販売など活躍の場は全国に広がる。
○…趣味は「体調管理の一環」と、20年以上続けている水泳と合唱。近年は彫金も楽しみの一つ。生活の中で感じた嬉しさや悲しみをテーマにデザインを考えるという。「何かを作るのは昔から大好き。自己満足ですけどね」といたずらっぽい笑顔を見せる。