戻る

泉区

公開日:2013.02.14

駅からいずみ遊歩シリーズ26 泉(オアシス)探訪
通信隊から立場駅
※協力・オアシス21世紀の会

  • 立場バスセンター 冬景色

 通信隊から北へ間もなく、高砂苑バス停である。ここには柊(ひいらぎ)の塚の伝説がある。次の萩丸は、青木初次郎氏の家号が地名になったともいわれている。



 この辺りを歩くと、一昨年の大震災の折、ガソリンを求めて長時間並んだ苦い経験が蘇る。西原バス停を過ぎると、昔の風景とは一変する。



 以前は、ここに大きな釣り堀があり、休日になると子供を連れて来たことが懐かしい。



 次にオアシス探訪のテーマ「駅」と立場について触れてみたい。



 昔、馬が交通手段だった。また漢語の睪(えき)は、継げるを意味し、これから驛が造られた様である。



 江戸時代、宿場に対して、立場は人馬の休憩所を指していた。



 明治の中頃、養蚕の発達とともに、青木近衛門氏が「立場」の家号でまゆや石炭を運ぶ。荷馬車の休憩地を、今の横浜銀行のところに設け、酒肴、飼料等を商った。同氏は有志2名とともに戸塚道にバスを開通、その後神奈川中央交通へと引き継がれた。



 今や立場は地名になり、ターミナル駅に発展した。



(文・絵=村上和治)

 

    • LINE
    • X
    • Facebook
    • youtube
    • RSS