横浜泉ロータリークラブの第25代会長に就任した 藤崎 辰徳さん 藤崎建業株式会社社長 73歳
「たとえダメでも懸命に」
○…「地域と共に輝くロータリーの絆」が今年度のスローガン。同クラブが積み重ねてきた伝統を継承し、奉仕活動を行うとともに、会員のさらなる親睦を図る。会員増強や退会防止に努め、毎週金曜日の例会を「忙しい中でも何かいい話ができる、心癒される1時間に」と大切にしていく。
○…現名誉会員の永野和夫氏に「若い人もいる。人前で話すことの勉強で入ってみないか」と誘われ、1993年8月、同クラブに入会。地元の名士ら、普段は直接会う機会が少ない人と話すことができ、建設業以外のことを知ることができた。クラブには「バッジをつけていれば公平」という決まりがあり、メンバーと21年にわたり親睦を深める中、同クラブは何を行うにしてもまとまりがあることを実感している。
○…「天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟で、大蛇ヤマタノオロチを退治した素盞嗚尊(すさのおのみこと)の神話の地」と言い表す島根・奥出雲で20歳まで過ごし、「田舎の3倍賃金が出る」と知人に誘われ戸塚区へ。「長男で責任があるから少し稼いで27歳くらいまでに帰ろう」と考えていたが、2〜3年後には藤崎建業を戸塚区内で立ち上げた。当初は農家の住宅工事を主に手がけ、「たとえダメでも一生懸命に」という思いが通じ、仕事ぶりを見た農家から受注を重ねた。時代は高度成長期の前で「いいタイミング。成長期にのった」と振り返る。仕事が軌道にのり、横浜に腰を落ちつかせようと、故郷から弟も呼び寄せた。現在は公共入札工事の比重が増し、学校の耐震補強や道路工事などを行う。
○…自らを「ダメな男」という。「普通ではダメ。財産を稼がないと」と、田舎をなくす覚悟で、仕事一筋で生き、現在に至る。今でも、指導する人がその場所を知らないといけないと、現場に極力足を運ぶ。仕事一筋ながら、クラブのメンバーと接したことで得ることのできた経験を生かし、25周年となるクラブの舵を切り始めた。
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