泉区 コラム
公開日:2023.09.14
泉の寺院探訪 【5】和泉山 寶心寺
「居心地のよい場所に」
(和泉町・浄土宗)このコーナーでは泉区仏教会の13寺を紹介していきます
寶(宝)心寺(和泉町3193)の起源は鎌倉時代の泉小次郎が菩提寺として建立した「泉竜寺」という禅寺。廃寺になっていた同寺を鎌倉郡和泉村の領主だった松平勝左衛門昌吉が1652(慶安4)年に再建し、昌吉の法名「松雲院殿業蓮社定誉法心庵燈居士」から松雲院宝心寺となった。
昌吉は三河国能見松平家の6代目で、境内には5代から15代までの歴代当主や妻などの墓石21基があり、「宝心寺の殿墓」と呼ばれている。
現住職の丸地裕信さん(50)。丸地家は昭和初期、26世の辯信から始まり裕信住職は28世。2017年に住職となり、18年に晋山式を執り行った。
本堂前のイチョウとイトヒバの古木は再建当時のもので、樹齢400年ほど。本堂には平安時代後期の穏やかな作風を残す江戸時代・宝永元(1704)年頃に制作された本尊・阿弥陀如来立像が祀られている。
境内には子宝・子育てに謂れのある岩舟地蔵尊、廻化地蔵尊がある。子宝地蔵と呼ばれる岩舟地蔵尊は長さ1mほどの石の舟の上に立ち、享保年間(1719年ころ)に下野国岩船山(栃木市)の高勝寺より伝えられたという。また木彫りで金塗りの廻化地蔵尊は、安永(1772〜1780)の頃、伊勢原市の保国寺で廻り地蔵が作られた記録があり、そのうちの1体とも言われているという。
地蔵は和泉町内の各戸を1晩ずつ回り、安産や子の健康を願った。住民の増加などで各戸を廻ることが困難になり昭和40年代に取りやめとなり、以後、同寺に祀られた。
「大丈夫だよ」
裕信住職は「明るく正しく仲良く」をモットーとして教えを説く。「人は1人では生きられない」とし、悩みを相談に来る人には「大丈夫だよ」と声を掛け続ける。寺を「お参りしやすく、居心地の良い場所に」とと心がけ、境内の掃除は欠かさない。朝6時に撞く鐘も「生活の句読点になれば」と続けている。「朝、鐘を撞くときに参拝してくれる方や『畑仕事していると時間を忘れるので助かる』という声もあり、無くすことはできない」という。
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