多摩 社会
公開日:2025.09.11
継承こそ平和への道
平塚空襲を記録する会
今年は戦後80年。復興を成し遂げ、七夕まつりが開かれる現在の平塚の街中で戦争の傷跡を見ることはない。
しかし、80年前の1945年7月16日に「平塚空襲」はあった。約1時間40分の間に、およそ40万発の焼夷弾が落とされ市街地は焼け野原と化した。投下された爆弾の量は全国で3番目の多さとも言われている。
「多くの人の命を奪った戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない」。平塚市博物館のワーキンググループ「平塚の空襲と戦災を記録する会」は戦争の記憶を後世に残そうと活動を続けている。
同会は1989年(平成元年)に発足。空襲体験者から話を聞き取り、証言集を刊行してきた。24年発行の『炎の証言』は通算23号目(博物館で販売中。A4判・103ページ・250円)。これまでに収めた証言は336人分になる。
会長を務める江藤巖さん(92)は自身が空襲の体験者だ。23号では自らの証言『よみがえった12歳の生命(いのち)』が掲載されており、自作の絵が表紙を飾る。
平塚空襲で江藤さんは大やけどをおい、きょうだいを亡くした。「平和を引き継ぎたい。次の戦争をおこしてはいけない」。江藤さんは小学校でも子どもたちに戦争体験の講話を通じて平和の大切さを訴える。
「新たな語り部」
戦後80年が経過し、戦争体験を語れる人は限られてきている。聞き取って継承するための時間は残りわずかだ。さらに会員の高齢化も拍車をかける。平均年齢が80歳ほどになりコロナ禍を経て4人の会員が亡くなった。
活動の継続が困難になったが、積極的な勧誘活動で新会員が入会した。最年少は24年に入会した県立高校教員の伊勢龍介さん(24)だ。
大学の卒論の調査・研究で同会と接触した際、会員の藤野敬子さんから「色々な角度の証言を読んでくださることが、すでに継承活動ですね」と声をかけられたことが転機となり、会に加わった。「研究対象」から「自分事」に切り替わった瞬間だったという。
伊勢さんは「先輩たちの思いを引き継ぎたい。語っていただく側から語る側にならなければならない。私たちが継承する主体なんです。蓄積された膨大な証言に真摯に向き合っていきたい。自分の授業で生徒たちに平塚空襲のことを伝えていければ」と語る。
後世に平塚空襲を語り継いでほしい、と同会は戦後80年の特別企画を平塚市博物館で8月17日に開いた。
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