2019年3月11日。直前まで降り続いた雨もやみ、青空ものぞくなかで行われた橘中学校の卒業式。くしくも、この日は在籍していた北村賢司君の一周忌だった。
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出身の前羽小学校は単級で、小学生の頃から同じ教室で学んできた友人も多い学年。卒業生による合唱の際には参列していた母の千波さんの元に幼馴染が駆けつけ、「一緒に歌おう」と賢司君の遺影を抱いて壇上へ。式が終わって教室へ戻ると、卒業生全員が見守るなかで校長先生から賢司君に卒業証書が授与され、皆で改めて校歌を斉唱した。
教職員や仲間からの温かな計らい。千波さんは「皆が一つになろうという空気が頼もしかった」と感謝しながらも、シャイだった賢司君を思い、「『照れくさいからやめろよ』と聞こえてきそうでした」とほほ笑んだ。
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小学6年生だった15年7月。所属していたお囃子保存会で日帰り旅行に出かけた際、賢司君のリンパ節がおたふく風邪のように腫れていることに気付いた。翌日から地元の診療所や病院を転々として検査を受けると、結果は思いもよらない血液のがん。東海大学医学部付属病院に入院し、院内学級で学びながら治療を続ける生活が始まった。
その年の秋。入院する子ども達対象のフットサル教室で、ある出会いがあった。コーチを務めていたのは、がんと闘いながらプレーを続ける湘南ベルマーレフットサルクラブの久光重貴選手。そんな姿は賢司君の励みになり、目標となった。
小田原アリーナへ観戦にも行ったが、恥ずかしがって声をかけられず。結局、二人が交流する機会は生まれなかった。だが、2月に同校で講演したことを縁に、この日の卒業式に久光選手が参列。式後に千波さんの元を訪れて賢司君の応援に感謝し、「今を大事に生きること、改めて皆に伝えていきます」と誓った。
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中学1年の夏に再発し、兄から骨髄移植を受けながらも余命宣告を受け、14歳4カ月の生涯を閉じた。つらい闘病生活にも、病室の窓から眺めていたドクターヘリのパイロットになりたいと夢を抱き、前向きに生きる賢司君の気持ちに応えようと家族はヘリコプター遊覧にも連れ出した。
「僕も皆を楽しませたい」「たくさんお世話になったから僕も献血する」と、病床で周囲への感謝を口にしていた賢司君。そんな思いを継ぎ、千波さんは難病と闘う子どもの支援、献血の呼びかけなど、悲しみの淵から一歩一歩踏み出している。
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神奈川県赤十字血液センターによると、県内で1日に必要とされる血液は900人分で、慢性的な不足が続く。献血を望んでも65歳以上は条件があり、若年層の協力者が求められる。献血バスの運行状況は同センターのホームページで確認できる。なお、市内では本日3月30日(土)、小田原城址公園に運行。午前10時〜正午、午後1時半〜4時。
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