公立校で甲子園を目指したい――。そんな思いを抱き、脱サラして小田原城北工業高校の野球部監督に就任した内海直也教諭(30)。7月12日に迎えた初めての夏の大会は、立花学園に0対15で敗戦を喫した。
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野球好きな父親によるスパルタ指導が始まったのは3歳の時。神社の敷地で、双子の兄・達也さんとともに毎日ノックを受ける姿は近所でも有名だった。「ただオヤジが怖かったから」と当時を振り返るが、小学校高学年になると能動的に練習に取り組むようになり、中学では二宮大磯リトルシニアに所属。複数の高校から入学の誘いも受けた。
ところが、希望していた甲子園出場歴もある私学の強豪からは推薦状が届かず。160cmに満たない体格が理由の1つだった。「小柄だと高校で通用しないのか」。ショックを受けたが、縁があって訪問した厚木西高で運命的な出会いを果たす。公立校ながら、チームを県ベスト8に導いた濱田雅弘監督(現・藤沢清流高)だ。「小さいことは武器になると言われ、自分を生かしてくれると思った」
同じチームで甲子園を目指してほしいという父の希望もあり、達也さんと厚木西高に進学。1年生から2人でレギュラーの座をつかみ、秋の大会ではベスト4に貢献した。さらに翌年の春・夏もベスト16、3年の春には現在メジャーリーグでプレーする田沢純一投手を擁する横浜商大高を下して準決勝に残った。最後の夏は8強で涙を呑んだが、厚木西の黄金期を築いた。
再び野球の道へ
東海大学を卒業後、大手旅行代理店に就職。仕事に追われる日々で野球からは遠ざかったが、「視野も広がり人間的に成長できた」。そんな充実した社会人生活が始まって3年目の夏のこと。営業先だった都内の高校が甲子園出場を決め、次々と勝ち進み決勝進出。図らずも応援バスツアーに添乗員として同行した。
あと一歩届かなかった憧れの甲子園で目の当たりにした溌剌(はつらつ)としたプレーやアルプス席の大歓声。「この舞台を目指したい」。湧き上がってきた熱い気持ちは、もはや抑えることができなかった。
その2年後に退職。大学に再入学して免許を取得し、昨春に体育教師として城北工高に着任。念願だった野球部監督としてのキャリアもスタートした。
常に部員へ伝えているのは、「気持ちがあれば誰でも花を開く可能性はある」ということ。監督として初の夏の大会で勝利はならず、「3年生に申し訳ない」と声を詰まらせるが、「高校野球はやっぱりいい。また頑張ります」と前を向いた。公立校から甲子園へ。夢は始まったばかりだ。
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