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保土ケ谷区 社会

公開日:2023.08.31

関東大震災から100年
市内で死者2万人以上
95%の家屋に被害

  • 被災した当時の豊国橋(大震災記念写真帳より)※現在の関内駅南東側

 100年前の1923(大正12)年9月1日午前11時58分、マグニチュード7・9と推定される大地震が関東地方を襲った。被害は死者10万5385人、全壊全焼流出家屋は29万3387戸にのぼった。

 当時の横浜市域(現在の中区・西区など)の被害は、9万9840世帯のうち全焼が6万2608、全壊が9800、半壊が1万732など。約95%の世帯で被害を受けた。人的被害も甚大で、当時の人口44万2600人のうち死者は2万1384人、行方不明1951人、重傷3114人など41万2247人が影響を受けた(神奈川県統計書昭和5年より)。

 横浜市震災誌第一冊によると「突然どこからか遠雷のような地響きがしてきたと思う間もなく大地は大波のように揺れ始め(中略)、表に逃げ出した時、全て地上の物が破壊されてしまった」と地震直後を表現している。火災に関して、「市内の数十カ所からほとんど一斉に発火(中略)、早いものは直後、遅いのは1時間くらいして発火し、市内至るところに黒煙がゴウゴウと立ち上った」と記されている。

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