連載第四回 宮前歴史探訪記 向丘の交通【4】 向丘を走る木炭バス
昭和10年頃から南武鉄道の南武バスが向丘の地を走るようになった。世相はこの頃からきな臭さが漂い始め、昭和12年にはとうとう日中戦争へ足を踏み入れ、昭和16年12月には太平洋戦争に突入してしまった。そして敗戦。この間、燃料の節約が叫ばれ、戦時中や戦後の混乱期は燃料不足に陥ってしまった。その為にガソリンが手に入らず、南武バスも木炭バスを走らせていたという。
この木炭バス、馬力を上げる為に煙を出して止まっていたり、坂道は馬力が弱くて一寸した坂道でも上り切れなかったという。特に平地区にある正直屋(旧道の神木交差点と東泉寺の中間辺り)前の坂道では、客が降りて押したことも度々あったそうだ。当時向丘国民学校に通っていた人が「止まってばかりいて、速足で歩いた方が速かったよ」と笑いながら話してくれた。
当時のバスの運行は一日5〜6便で、乗客は溝口へ買い物に行く人や仕事に行く人、それに軍人も乗っていた。バス停も一応あったが、手を挙げれば何処でも乗せてくれたそうである。
昭和22年頃になると、木炭バスからガソリンを燃料としたバスに入れ替わり始めた。/宮前の歴史を学ぶ会・杉田墾生
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