連載第七回 宮前歴史探訪記 向丘の交通【7】 乗客増に追いつかぬバス便
昭和35年頃から始まった高度経済成長により、自然に恵まれた向丘の地にも都市開発の波が押し寄せ、山々が切り崩され、田圃が埋め立てられ、大規模な宅地造成が進められた。一寸前まで農村地帯であったことが嘘のように公団住宅、分譲住宅が立ち並ぶ住宅地に変貌を遂げ、人口が急増。この地の新住民の勤め先の殆どは、東京や川崎の都市部だった。更に小中学生もバスを使って通学するようになり、バス利用客が一挙に増えた。
その為、川崎市交通局は昭和40年に蔵敷を通る溝口行きのバスの便数を104便に増便。五所塚の切り通しの完成に伴って、蔵敷団地〜登戸間の路線を新たに開通し、昭和43年には130便近くにまで増やした。然しバス利用客の増勢には追いつかず、朝の通勤通学の時間帯には、どのバスも超満員の鮨詰め状態。更に菅生地区で満員となった溝口行きのバスは、途中の停留所を満員通過してしまうことが度々あった。
交通局にとっては最悪の事態に陥ってしまったのである。然しこれ以上のバスの増便は、旧態以前の狹い道路とモータリゼーションによる道路事情の悪化で困難だった。人口増に交通インフラの整備が追いつかない状態であった。/宮前の歴史を学ぶ会・杉田墾生
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