連載第十三回 宮前の歴史を学ぶ会 宮前歴史探訪記 宮前区の30%は軍用地でした【5】 兵士たちの名簿
東部第62部隊は、元は歩兵第一〇一連隊の通称名でしたが、昭和18年には歩兵第一補充隊となっていました。これは関東各地から兵隊を召集して部隊に編成し、短期間の訓練の後、他の連隊に送り出して戦地に派兵する中継ぎの部隊でした。
4年前、仙台にお住まいの山田晋一さんから「東部62部隊員の名簿=写真=を持っている」という連絡がありました。この名簿はとても貴重なもので、第二野戦貨物廠第三開拓勤務隊第七中隊菅沢隊の名簿でした。部隊は昭和19年1月に宮崎の地で編成され、その後、303人がサイパン島へ、327人が中国江西省に転属しました。山田晋一さんと残りの48人は、ニューギニア西部のマクノワリに送られる途中で乗船が米潜水艦の魚雷で沈没し救助されて、フィリピンに上陸しました。
しかし米軍がフィリピンに進攻し山田さんたちは山中をさまよいました。そして敗戦で降伏し、帰国することができました。
この部隊名簿「イロハ留守担当者名簿」をみると、ほとんどが30才過ぎで「留守担当者」(死傷した時の連絡先)が妻なのです。サイパンに送られた兵士は全滅ですから、遺族は母子家庭となってしまいました。
/みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会・山田譲
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