連載第十五回 宮前の歴史を学ぶ会 宮前歴史探訪記 宮前区の30%は軍用地でした【7】 東部62部隊兵士の葉書 太平洋を往復
東部62部隊には大きな馬房があり、軍馬が飼育されていました。近代戦では軍馬は必要なくなり、トラックやジープにとって代わりました。しかし日本軍は自動車装備が貧弱で、中国戦線では荷役や大砲の牽引、指揮官の乗馬として馬が使われていました。
その軍馬の中に名馬ランタンタンがいました。フランスの馬の血を受け継ぐ栗毛のオスです。岩手県江刺の伊藤家の農耕馬で、とても賢くて人なつこく可愛がられていました。
それが昭和12年に、馬匹徴発告知書で軍隊に強制的に取り上げられてしまい、名前も勝山号に変えられました。隊長乗馬として中国各地を転戦し、3回も負傷しましたが傷から立ち直り使われ続けました。この功績として「軍馬甲功章」を受けました。その後、昭和15年に軍馬としてはめずらしく日本に帰国し、部隊の移転とともに宮前区の東部62部隊の馬房で暮らしていました。
しかし敗戦となり東部62部隊も解散。食料事情悪化で馬肉にされかねない。調教手の小池政雄さんが近くの農家で保護し、元の飼主の伊藤貢さんが来て無事帰郷できました。
『戦争にいったうま・改訂版』(いしいゆみ作、静山社刊)は、この馬のお話です。/みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会・山田譲
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