阪神甲子園球場でこのほど開催された、第93回選抜高校野球大会で、東海大学付属相模高等学校が10年ぶり3度目の優勝を果たした。決勝の大分県代表、明豊戦でサヨナラ打を放った小島大河選手は、市内日向出身。小学校時代は高部屋少年野球部で活躍した。
全国から32校が集まった同大会。2年連続12回目の出場となった東海大相模。初優勝を目指す明豊との決勝戦は、相手に2度先行されるも粘り強く追いすがり、9回裏一死満塁のチャンスに3番で捕手の小島大河選手が打席に。サヨナラの期待が高まる中、小島選手が振り抜いた打球は遊撃手のグラブをはじくヒットになり、劇的な勝利を収めた。小島選手は「皆が繋いでくれたチャンスだったので、ここで決めようと思って打席に入った。ヒットを打った瞬間は嬉しかった」とサヨナラの場面を振り返った。
甲子園で応援していた父親の真路さん(50)は、打席に入る小島選手に「とにかく強く振ってくれとだけ願った。優勝できて夢のよう。LINEで『幸せな時間をありがとう』と伝えた」と喜びの心境を明かした。
真路さんはこれまで「打てる時もあれば打てない時もある」と声をかけ続けてきた。頑張っていること、努力していることをたくさん褒めたという。「野球を通して多くの人と繋がりが持てたことは親にとっても財産になっている」とした。
2歳から「球遊び」
ソフトボールをやっていた父の真路さんに連れられて試合を見たり、チームメイトに遊んでもらっていたことがきっかけで野球を始めた小島選手。2歳の頃から「球遊び」をしていて、公園でゴムボールやプラスチックバットで朝から晩まで遊んでいたという。
高部屋小の1年生から高部屋少年野球部でプレー。6年生の時には、多くのプロ野球選手を輩出しているNPB12球団ジュニアトーナメントに出場する、横浜DeNAベイスターズジュニアチームに選出された。山王中時代は相模ボーイズに所属。日本一をめざしたいとの思いから、東海大相模へ進学し、寮生活を送っている。小学校時代の思い出を聞くと「あいさつなど基本的なことも教わり今も役立っている。練習は厳しかったが、皆が一生懸命教えてくれて感謝している」と答えた。次の目標について小島選手は「夏の甲子園でも優勝したい」と意気込みを語った。
小学校の6年間指導にあたった同部の元監督、青柳茂行さん(53)は当時の小島選手について「照れ屋な子だったが、練習に手を抜かず、秘めた闘志があった。低学年のころから野球センスに秀でていた」と振り返る。6年生の時はキャプテンで主に投手や遊撃手としてチームをけん引していたという。青柳さんは「サヨナラの場面、わが子のように、緊張してテレビを見ていた。決まった瞬間泣きました」と嬉しそうに話した。
愛甲石田駅近く家族葬専用式場「ゆかりえ」家族葬から樹木葬。友引の日に無料相談会を開催しています。 |
愛甲石田駅近く家族葬専用式場「ゆかりえ」家族葬から樹木葬。友引の日に無料相談会を開催しています。 |
<PR>
伊勢原版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
<PR>