芸術文化創造センター 存続なるか、稲葉時代の松 設計士、「技術的には可能」
市道の廃止など建設予定地周辺の道路で、一部市民と小田原市の間で平行線の議論が続いている芸術文化創造センター。新たにお堀端通りに面した松の取り扱いが、議論の火種になろうとしている。
7月6日に行われた市民説明会で、市民から「残してほしい」と要望が出たこの松。設計士の新居千秋氏は「当初計画では、残す予定はなかったが、残す案も検討したい」と前向きな答弁をした。
ただ小田原市は、保存に消極的。実施設計に移る際、基本設計で出た課題解決に加え、松の伐採の是非が議論になる可能性はあるが、松を残すのは「決定ではない」とし、残す・残さない、の判断は「設計者の仕事ではない」と断言している。
文化施設にこそ歴史ある松を
小田原の郷土史に詳しい田代道彌氏(小田原の城と緑を考える会会長)によると、この松は今から約340年前の1677(延宝5)年、当時の小田原城主・稲葉正則の命で植樹された松であることが『稲葉日記』に記されているという。
稲葉正則は、徳川3代将軍・家光の乳母・春日局の孫にあたる。市内入生田の長興山紹太寺を開いたことでも知られている。
冒頭の「残してほしい」と要望したのは、市内40もの文化団体が加盟する文化連盟の理事で華道協会会長の杉崎宗雲氏。センターの早期建設を求める市内文化団体の重鎮の一人だ。
杉崎氏は「未来の人のためにも、今生きている人のためにも、また故人の方々のためにも」と新しい文化施設にこそ必要である、と周囲の桜と一緒に存続を切望している。
しかし文化団体として頭の痛い問題がある。表現スペースの縮小だ。
樹木の保存か表現の場の確保か
新居氏は松を残すことは「技術的には可能」と話すが、残すことで大規模なセンターの設計変更を余儀なくされることは想像に難くない。特に松は、車寄せのスペースにあるため、エントランス横の広場やその奥の大スタジオにまで影響が出てくる恐れがあるのだ。
新居氏は「次世代に何を残すかを考え、行政と市民または市民同士で良く話し合って」と期待を寄せた。
なお、市役所では本日8月23日(土)、午後2時から芸術文化創造センターの第1回意見交換会が行われる。新居氏とセンターの実施設計・監理運営の専門員、市民ワーキングメンバーがこれまでの検討状況を報告する。傍聴は自由。