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小田原・箱根・湯河原・真鶴 文化

公開日:2018.11.24

風祭や入生田も戦地に
150年前の「戦争」にスポット

  • 明治期の風祭の写真 遊撃隊は箱根側(奥)の高台付近から小田原勢へ砲撃したとされる(箱根町郷土資料館蔵)

  • 小田原の郷土資料館でも砲弾を所蔵

 150年前、風祭や入生田、箱根の村々を巻き込み、40人ほどの死者・行方不明者を出した戊辰箱根戦争。あまり知られない戦いをテーマに箱根町郷土資料館が企画展(〜25日)を開いている。

 1868年春、江戸城開城後に旧幕府軍から抜け出した「遊撃隊」は沼津から江戸へと進軍し、新政府に従っていた小田原藩と箱根関所で銃撃戦となる。その翌日に小田原藩は突如「藩論」を佐幕(幕府の存続を支持する考え)に変え、いったん和睦。その後再び新政府側に転じた。双方は再び戦火を交える事になり遊撃隊は山崎(箱根町)の高台に砲台を築き、小田原藩は長興山や石垣山方面から砲撃。飛距離のない砲弾が村に落ちた事もあったという。その後、遊撃隊は湯本の町に放火しながら熱海へと敗走した。

 企画展では古文書や明治期の写真などを通じ、戦いの様子やその後のエピローグを紹介している。

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