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足柄版 公開:2014年7月26日 エリアトップへ

山北町明治33年創業 給食支える町のパン屋さん

文化

公開:2014年7月26日

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 1900(明治33)年創業のパン工場が山北町にある。屋号に名を残す創業者の石田為吉(1872〜1939)は、水車の動力を使い製麺業を創業。世襲した二代目為吉(1897〜1971)の頃になると、精米や薪、炭などの燃料も扱い始め地域の暮らしに密着した商店としての営みを軌道に乗せた。

 1948(昭和23)年には、フィリピンから復員した二代目の長男・孝司さんが、戦地で食べたパンに目をつけ、製パン業を始めた。明治天皇にあんぱんを献上した木村屋で修行した親類を、小田原から招いての本格参入だった。

 これが功を奏し、60(昭和35)年には学校給食のパン製造を請け負うことになり、以来、石田為吉商店は足柄上地域の子どもの成長に深くかかわるようになった。

 体調を崩して復員していた孝司さんは、給食による隆盛を見ることなく1948(昭和23)年に26歳の若さで他界。次男も早世したため、三男の宏之さんが三代目として家業を継ぐことになった。

 学校給食と並び昭和の頃に販路を拡大したのは乾麺だった。「ひやむぎ」として愛され主に旧・東海道線の駅売店などに卸していたが、スーパーの台頭などで昭和50年代に製造を中止したが、80年代に製造をはじめる「ソフトめん」の礎になった。

 1日約5千食のパン、米飯を担う給食の仕込みは朝5時に始まる。その傍らでわずかに作るカレーパン=写真=やあんぱん、クリームパンは隠れた人気商品でもある。

 懐かしい味がするカレーあんに、食べ応えのある一口サイズの豚肉が1個と福神漬けが味の決め手。自家製のパン粉をまとわせこだわりのドーナツオイルで揚げたカレーパンはズシリと重い。都心では300円以上はするであろうこのカレーパンを1個170円で販売している。1日に作るのはわずか50個。他にも大きな栗が入った「あんぱん」や、ずっしりと重い「クリームパン」も人気だ。

 「『金よりも信用を残せ』というのが先代からの教え」―そう話すのは三代目の石田宏之さん(83)=写真左=。父・二代目為吉さんは、64(昭和39)年から3年間、商工会長を務める名士だった。

 「戦時中に農家の人が小麦を持って列を作り、パンと物々交換していた。渡すパンは持ち込まれた小麦よりも多かった」と、当時を振り返る。

 現在は息子の史彦さん(47)=写真右=が四代目として家業を継ぐ。史彦さんは「派手な事はできませんが信頼をしっかりと受け継ぎたい」と話す。誰よりも早く、誰よりも遅くまで工場にいるのが四代目。

 宏之さんの妻で開成町から嫁いだ斌(あや)子さん(75)は「初代・二代目、三代目あっての今だと思います。これからも信用を残す仕事を続けてほしい」と家族を温かく見守る。

 従業員15人。宏之さんと斌(あや)子さん、史彦さんと妻、2男1女の7人家族。パンは道の駅「山北」や山北駅前のポッポ駅前屋などで買える。

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