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港北区 社会

公開日:2025.08.28

被爆の記憶、作品に
高田西在住 松岡眞(本名・眞男)さん

  • インタビューに答える松岡さん

  • 「夏・3.5Kmの記憶II(長崎市)」

 長崎県出身で高田西在住の松岡眞(本名は眞男)さん(95)は、画家としてさまざまな作品を生み出してきた。

 松岡さんの作品には、絵画の剥離剤を用いた手法で、キャンバスの絵の具を剝ぎ取った痕跡(自称「バイキン」)が散りばめられている。

 「バイキン」のある作品の一つに、長崎での記憶を描いたものがある。2015年に制作した油絵作品「夏・3.5Kmの記憶II(長崎市)」だ。100号(162.1cm×112.1cm)のキャンバスには、1945年8月9日、15歳の時に爆心地から3.5Km離れた場所から見た、B29から投下された原子爆弾が爆発した瞬間が表現されている。

 当時、長崎市の中心部付近で暮らしていたが、「空襲によって家が延焼しないように」と生家が倒された。強制疎開となり、標高約100mの場所にあった空き家に一家で移り住むことに。

 真夜中に空襲警報が鳴り、常に恐怖と隣り合わせだった生活。外で五右衛門風呂に入っている時に飛行機の音がして、風呂釜の陰に隠れたこともあったという。

 学徒動員で軍需工場に勤務しており、8月9日は夜勤のため日中は家にいた。B29が飛行しているのを見て、「偵察に来たんだな」と思ったが、午前11時2分、爆音が聞こえ閃光が走った。「見た途端、頭が空っぽになった。何が何だかわからなかったけど安全な方へ体が動いていた」

 天井板が落ちてくる中、四つん這いで玄関に向かい、散乱していたガラスの上をはだしのまま越えた。山道を上り、恐怖におののきながら這いつくばって見上げると、焦げ茶色の柱が空に向かって生き物のようにうごめいていた。

「描き残さねば」

 幼い頃から絵が好きで、大学2年の時に画家・野口彌太郎氏と出会い、師と仰いだ。卒業後は画家を目指して上京。

 制作していても、「自分が思っていることが画面に出てこない」と迷うことがあり、描き直そうと絵の具を剥ぎ取り、セピアをかけた状態のままアトリエに立てかけていると、ある時、「表現したい空間が見えた」という。50歳を過ぎた時のことだった。

 被爆して70年経ち、「絵描きとして見たものを描き残さねば」の一心で、鮮明に残っている記憶を元に、「夏・3.5Kmの記憶II(長崎市)」を描き上げた。深い青色のグラデーションがかかった背景で、中心には焦げ茶色の積乱雲。「バイキン」の中に、浦上天主堂が描かれているものも。作品は、長崎原爆資料館に寄贈された。

 胎児のようにも、魂のようにも見える「バイキン」。「『このように感じてほしい』という思いはない。絵が話すことを、見る人がどう感じるか」

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