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都筑区 コラム

公開日:2020.10.01

大正末期〜昭和の北山田から 第54回
都筑区の歴史を紐解く
文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)

  • 公団の職員による移転の交渉

移転



 稲荷谷戸が先行造成地に指定され、一番先に移転した。移転地造成のため、稲荷谷戸原に整地され、直接移転になった。その他の移転は公団のプレハブ住宅に仮移転したが、移転補償交渉が大変だった。ほとんど仕事もせずに公団と部落全体のことで交渉の案内をし、補償金以外の相談に乗った。特に重代谷戸、稲荷谷戸はいっせいに移転してくれたが、ほとんどの家で個人墓地を持っていたので、家の移転前に先祖の墓地移転を実施した。



 墓地移転は業者に委託。骨の発掘も葬儀社に委託したが、前段として寺住職の閉眼式の読経を各墓地で行い、移転後、新墓地で開眼式を行った。あまり毎日火葬場に行くので、葬儀業者に間違われたこともあった。初めは骸骨の掃除は抵抗があったが、連日立ち会いなれてくると抵抗がなくなってきた。古い墓地は相当地面が移動していた。何年もたつと樹木も移動しますので、墓地も移動したのでしょう。



 引っ越しはたいてい一週間以上かかっていた。植木移動も含めると一ヶ月は費やした。先祖代々住みなれた家を解体するのは、想像以上の苦労があった。解体は生活対策事業として設立した山田富士組が大半は請け負った。組合は自分の家を自分の手で壊し、バックホーでつぶした。公共事業とはいえ、寂しく、その姿は哀れに見えた。古い農家は三百数十年の歴史があり、私の代で故郷が消滅するのかと思うと、申し訳ないのと、立場上の責任が絡み、複雑な心境になる。

 

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