※このコーナーでは旭区内の歴史ある場所や建造物などを取り上げていきます。
「今でも近所の電信柱には『矢場』が残っている所もあるし、『矢指』という地名にその名残を見ることができます」と八幡神社の宮司、土岐淳さんは話す。
遡ること平安時代、奥州で起きた後三年の役(1083〜87)に出征する源義家が当地に宿営。弓矢を練磨し八幡大神に戦勝を祈願、勝利を収めて凱旋の帰途、現在の場所に社殿を建立したのが始まりだという。義家は源頼朝の先祖で、京都の石清水八幡宮で元服をし、「八幡太郎」とも呼ばれたことから、創建当初は矢場八幡と称した。義家がここから放った矢が飛んで行った方向=南西1キロ=には現在も「矢指」という地名が残る。
昭和24年までは、義家が植えたと伝えられた巨大な松があったが、虫害により伐採された。しかし、地元の人が切った松の樹皮を持っており、松脂の影響か現在も社殿に良好な状態で保管されているという。
かつては、もともとの言われから武芸上達や武門の神として崇敬されていたが、現在は受験合格祈願や家内安全祈願など諸祈願成就の神として崇敬を集める。土岐宮司は「時代の変化とともに、一般的な生活に即した形で、生活の鎮守、旭区の守り神的なものとしての信仰に変わっています」と話した。(資料/八幡神社御由緒書)
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