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旭区・瀬谷区 人物風土記

公開日:2022.09.08

ドラマで最期を迎えつつある畠山重忠ら一族郎党134騎を葬ったとされる薬王寺の住職
喜田 孝彦さん
鶴ヶ峰本町在住 54歳

「重忠は地域が守ってきた」

 ○…知勇兼備で「武者の鏡」と言われた畠山重忠。1205年に鶴ヶ峰付近で無念の死を遂げ、一族郎党が眠る塚がつくられた。薬王寺は明治まで今宿にあったが火事で焼失。本堂を再建する際に「畠山重忠を慰霊するために寺が欲しい」と願った住民らの思いから昭和初期に今の地に再建。「800年もの間、地域住民が塚を守ってきたのは、重忠の生前の人柄があってこそ。本当にすごいことです」

 ○…再建後、薬王寺は住職不在のことが多かった。その中で父が薬王寺の住職となり、幼い頃は同所で過ごした。6歳で父が実家の寺を継ぎ、保土ケ谷へ。「常に身近に仏教があったけど子どもの頃はあまり興味がなくて。むしろ反発しているところもあったかな」と笑う。大学卒業後サラリーマンになるが、恩師から「お坊さんは仏様が教えてくれた生き方を伝えるのが役割」と言われ、一念発起。修行や勉強期間を経て、2004年に薬王寺の住職となった。「父ではなく、他人に言われたからこそ晴天のへきれきでした」。

 ○…妻と息子の3人暮らし。幼稚園に通う息子の成長が日々の楽しみになっているという。「公園に行ったり、レゴやプラレールで遊んだり男の子だから、毎日大騒ぎで」と笑顔がこぼれる。自身も住職になることを父から無理強いされることがなかったこともあり「自分で目指す日が来れば」と語る。

 ○…今後も重忠の供養などを続けつつ、”仏の教え”をわかりやすく噛み砕いて伝え、悟りへの到達を試みる。「教えを読み解くのは難しいからね」と自身も修行中は苦労していたという。一方で「辛い時に手を差し伸べ、暗闇の中で進むべき道を照らしてくれるのが仏教ですから」と笑顔で語る。

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