駅からいずみ遊歩シリーズ50 泉(オアシス)探訪 ミニ富士参り ※協力・オアシス21世紀の会
江戸時代は富士山信仰が盛んで、富士登山に行く人も多かったようだ。同じ信仰の人達で講をつくり、自分たちで地元にミニチュア富士を造ったのが富士塚である。そこに登拝すれば、富士登山と同じご利益があると信じられていた。
泉区でも富士塚は地名やバス停名として残っている。当時の原型を留める富士塚が岡津の向導寺の裏山にあると聞き、訪ねることにする。岡津バス停で降り、阿久和川の上流へと歩く。不動橋を渡り、山裾を行くと閑静な場所に向導寺がある。墓地の一角にそれぞれに形の違う住職たちの墓石が並んでいて興味と歴史を感ずる。
寺の脇道を、落ち葉を踏みしめながら登ると視界が開け、不動堂とお宮がたたずむ。その後ろに、かなり高い富士塚があった。石碑が4個置かれ、その中のえぼし岩には天保十一年(1840)と刻まれていた。急な登山道を登ると山頂に大きな石碑があり、「天下泰平」の文字が判読できた。
周りの雑草はきれいに刈り取られ、気持が良い。今でも信仰が息づいているのでしょうか。
下山し、石段を下りて来る途中に「向導寺と富士塚」と書かれた泉区役所の掲示板があった。貴重な史跡として次世代にもしっかりと引き継いでいかれることを願って、岡津橋バス停で帰りのバスに乗る。
(文・写真=竹村茂)