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泉区 教育

公開日:2022.12.15

「何でもやろう」と背中押し
加瀬裕通さん(元バドミントン部顧問)

  • 加瀬裕通さん…元教諭。三崎高、商工高を経て松陽高創立から11年間、バドミントン部を指導しながら教鞭を振るう。

 「1期生は45人のクラスが3つ。でも実際には3人の担任が135人全員の面倒を見るつもりだった」――。1972年4月に創立を迎えた松陽高校。当時27歳だった加瀬裕通さん(78歳)は教員となって3校目で新設校の担任を任された。

 「3組だった清水(進一)先生もなかなかの熱血教師で、何でもやらせてやろうとよく話しました」と加瀬さん。松陽高校の1年目は柏陽高校(栄区)の敷地の仮校舎で始まったこともあり、「学校もないし、先輩もいない。そんな中で生徒たちがみじめな思いをしないようにと意気込んでましたね」と振り返る。

良いことも悪いことも

 校長を務めていた鮫島一郎さんは「どんどんやりなさい。何かあったら俺が責任を持つ」と若手教員だった加瀬さんらに話していたという。「それもあって私たちも生徒たちにそういう姿勢だった。良いことも悪いことも、指導というよりは面倒を見るつもりで」

 加瀬さんにとって思い出深いことの1つに登下校があるという。創立当時はまだ相鉄線いずみ野駅が開業しておらず(1976年4月開業)、「戸塚からでも三ツ境からでも、どの方面でも神奈中バスさんが頼りでしたね、生徒も先生も。運転士さんにも仲良くしてもらって」と振り返る。

 その一方で「乗り遅れたら長時間待つことになるので、当時は石井商店の前にあったバス停を生徒たちが少しずつバレないように学校側にずらしたりして。でもしばらくしたら元に戻されちゃって」と笑顔で明かす。

 そんな生徒たちの姿が昨日のことのように思い起こされるが、50周年を迎えて還暦を過ぎた卒業生もいる。「手探りの日々で中学校を出たばかりの子たちと過ごした。あの生徒たちが還暦と思うと不思議で驚くばかり」と目を細めた。

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