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泉区 社会

公開日:2023.08.10

宮城県桃生郡橋浦村(現・石巻市北上町)
空飛ぶ「赤とんぼ」を見つめ
白百合在住 武山秋吉さん

  • 少年時代に体験した戦争を振り返る武山さん

 宮城県出身の武山秋吉さんは1936(昭和11)年生まれの86歳。7人きょうだいの4番目で、第二次世界大戦当時は幼少期だった。実家は農業を営み、父は猟師としてウサギやキジを狩ってもいたという。

 そんな中で戦況の悪化とともに都会から疎開してくる人が増えていった。「うちは田んぼがあったからよかったけど、親戚を頼ってきた疎開の子たちはかわいそうだったよ」

 蔵で生活を余儀なくされる人たちも多く、「うちも小百姓で大したことはできなかったけど、それでも親父はほんの少し食べ物を分けてやってたみたいだな」。

橋の上から戦闘機を

 そんな田舎町の空にも戦闘機が飛来していたという。「橋の上から空を見上げると、日々赤い戦闘機が行き交っていて、それを『赤とんぼ』と呼んでたんだ」。多い時には20機もの戦闘機が編隊を組んでいたという。

 「親父には『この馬鹿、危ないからそんなことするな』って怒られたけど、飛行機なんて生まれて初めてみたから」

 石巻の近くには海軍の矢本飛行場(現在の航空自衛隊・松島基地)があったため、武山さんはそこに行き来する戦闘機を目にしたのではないかと振り返る。

 そんなある日、武山さんは一度だけ銃撃を受けたことがある。学校から帰り、牛に草を食べさせようと田んぼに向かっていた時のことだった。戦闘機が武山さんのすぐそばに銃弾を撃ち込み追いかけてきたという。

 「当たらなかったから、たぶん遊びのつもりだったんだと思う。けどこっちは必死で。牛を置いて逃げればよかったけど、牛も大事だったから」

知ることが大事

 1945年の8月15日は「今日は重大な放送があるらしい」と、10軒に1軒しかなかったというラジオのもとに集まり放送を聞いた。暑い日で、玄関にむしろを敷いてその時を待ったが、「正直、何を話しているのかわからなかった」。

 家族を戦争で失うことはなかった武山さんだが、現在の日本を「国会が機能しなくなっている。そういうのがまた戦争に向かってしまう」と危惧する。「一人一人が現状を知ることが大事。メディアも襟を正さないといけないし、みんな自分の考えをもっていないと」と思いを語った。

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