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公開日:2024.01.18

中田町・石塚さん
「箱根駅伝」支え60年
100回大会を機に勇退

  • 100回大会のコートの前でキャップを手にする石塚さん

  • 手帳には数々の大会の軌跡

  • 70回大会の記念時計

 新春の風物詩として親しまれている「箱根駅伝」(東京箱根間往復大学駅伝競走)を支え続けて60余年――。長年、審判員や走路員を務めてきた中田町在住の石塚武夫さん(87歳)が1月2日、3日に行われた100回大会を機に勇退した。務めを果たし「来年はテレビで応援しようかな」と笑顔で語った。

走者の夢が形変え

 泉区陸上競技協会の会長などを歴任し、現在は泉区スポーツ協会の名誉会長を務める石塚さん。中和田小から藤沢中(現・藤嶺学園藤沢中)に進んで陸上競技を始め、高校卒業後は日本体育大学でランナーとして箱根駅伝出場を目指していた時期もある。

 その夢は叶わなかったが、在学中に公認審判員の資格を取得。中和田中や汲沢高(当時)の教諭として勤めながら、休日も返上して各種の陸上競技大会に携わってきた。現在はS級の資格を有している。

 箱根駅伝には「いつからだったかな」としつつ、40回大会の時にはすでに参加していたという。声援を送る沿道の人やランナーの安全を守る走路員のほか、戸塚中継所での審判員はのべ20年以上になる。

ラジオの時代から

 「時計係は時計から目が離せなかった。とにかくランナーが通過するとタイムを大声で叫んで、それをラジオのアナウンサーが実況してね」

 箱根駅伝のテレビ中継が始まったのは1987年の63回大会からで、当初はラジオのみ。そのため、ランナーの姿を見に沿道の応援に駆けつける人は今以上だったという。「今みたいに携帯があったらもっと楽だったんだろうけどね」と当時を笑顔で振り返る。

 立場上、母校のランナーが走ってきても応援は「心の中だけ」。代わりにのぼり旗を50本寄贈するなどして後輩も支えてきた。

 長年関わってきた箱根駅伝だが、体力の低下も感じて100回大会を機に勇退を決めた。「走るのはやはり苦しい。だから声援はいいよね。母校じゃなくても応援するのがまたいい」

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