日下小学校 おめでとう110周年 11月10日に記念式典
1903年(明治36年)5月5日に開校した横浜市立日下(ひした)小学校。110周年を迎えるにあたり、11月10日に記念式典が行われる。
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日下小の歴史を紐解くと、1872年(明治5年)に公布された学制に伴い、翌1873年に久良岐郡関村・雑色村・松本村の3村連合学区で創設された東樹学舎(東樹院内)が前身となる。1875年に上記3村が合併して笹下村となったことから、1877年に東樹学舎は笹下小学校と変更され、続いて1887年の小学校令施行により、尋常笹下小学校となる。
1889年には笹下村と日野村、田中村など8村が合併。日野の「日」と笹下の「下」で久良岐郡日下(くさか)村となる。そして1903年5月5日、尋常笹下小学校と、栗木にあった尋常上笹下小学校が合併し、尋常日下(くさか)小学校が現在地に開校する。当時は茅葺きの校舎で先生は6人、児童数は200人ほどだった。1921年に高等科が設けられ、日下尋常高等小学校に。1927年、日下村は横浜市に編入。日下村は廃止され、小学校の住所は中区笹下町関となり、横浜市立となる。この頃に日下の読みは「くさか」から「ひした」となったと言われている。
戦争で一時閉鎖も
1941年には日下国民学校と変わり、同年、太平洋戦争が勃発。戦争が進むにつれ、食糧増産を目的に小学校を休んで農業を手伝ったりすることもあった。日下地区は横浜大空襲の戦火を免れたが、校舎は飛行機の退避場所や食糧倉庫として転用されたため、学校は事実上の一時閉鎖に追い込まれることもあった。
終戦後の1947年に横浜市立日下小学校となる。経済発展と共に児童数は増加していたが、洋光台団地の造成とともに急激に増えた児童に対応すべく、1970年に洋光台分校を開設。翌1971年に洋光台第一・第二小学校が日下小学校から独立した。1980年には、狭い校庭を何とかしようと地域が活動した結果、第2グラウンドが完成。現在に至る。
現在の日下小
日下小学校の卒業生総数は8341人。現在は、藤井妙子校長の元、530人の児童が学んでいる。
日下小学校は1年生と6年生、2年生と4年生、3年生と5年生が1年間を通してペアを組み、運動会もペア演技があるなど、学年を超えたつながりが深いのが特徴。上級生は下級生の面倒を見ることで思いやる心を、下級生は上級生を手本にすると同時に、感謝の気持ちを育んでいる。
11月10日には児童対象の式典とは別に、来賓や歴代の校長、教員、PTAなど地域関係者160人以上が参加する式典を山室敏夫実行委員長(=今号人物風土記)の元で挙行する。
当日は金春流能楽師で、日下小学校卒業生の山井綱雄さんが能楽を披露するなど、盛大に行われる予定だ。
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