日野小学校 140年の歴史繋ぐ これまでと現在
港南区で1番歴史のある日野小学校(杉山百合子校長)は2012年に創立140年を迎え、11月17日に記念式典を行う。
◇◇◇
日野小が開校する以前は子どもたちの学習の場は徳恩寺や聖福寺で開かれていた寺子屋が主だった。1872年(明治5年)の学制公布を受けて、1873年に春日神社と徳恩寺の前に「第一大学区第七中学区第五十五番小学日野学舎」として開校。当時の日野小は約300坪の校庭に、60坪ほどの茅葺屋根の木造平屋建て。周囲は山に囲まれている中、50人の児童を2人の教師が教えていた。
当時は久良岐郡日野村だったが、1889年に日野村と笹下村などが合併して日下(くさか)村となると、1892年に日下村立尋常日野小学校に。その後1927年(昭和2年)に日下村が横浜市中区へ編入されると中区日野町となり、校名が「横浜市立日野尋常高等小学校」となる。1929年に現在地に校舎を移転し、2階建の木造校舎を建設。1943年に中区から南区が分離されると、南区日野町となる。
戦後の1947年に「横浜市立日野小学校」に変更。さらに1969年には南区から港南区が分かれ、住所も港南区日野町となった。1971年には校舎の老朽化に伴い鉄筋4階建校舎へ建て替えられ、今に至る。
戦中の日野小
戦時下には「日野国民学校」と名称を変更。校庭には防空壕が12個作られ、市中心部からの疎開児童の数も増加。校庭にあった二宮尊徳の銅像や、近隣の寺院の鐘も日本軍に供出していたという。
日野小の卒業生である寺田伊佐武さんは、民家では空襲に備え、明かりとなる電球に黒布をかけ、ガラスは飛散防止のために紙や新聞紙を張り付ける家庭が多かったと話す。麦飯や芋類が食事の中心で、白米はお祝い事の日にしか食べられなかったという。しかし子どもたちは山や川で走り回り、釣りなどの遊びを楽しんでいた。寺田さんは「衣食住、すべて貧しかったが心は豊かだった」と振り返っていた。
現在の日野小
現在は327名の児童が在校。日野小は「日野の子フェスティバル」をはじめとして教師、児童、PTAが一体となった行事を行っている。今回の式典に向けて児童は運営委員を中心に準備を進め、グラウンドでお祝いの思いを込めてコスモスを育てている。また、学校・児童のサポート活動を行う保護者団体「おやじの会」は周年記念ののぼり旗を同小に寄付。大人と子どもが一丸となって創立140年を祝うべく準備を進めている。
17日は児童を対象とした式典を午前中に行い、午後からは来賓、学校関係者、PTAなどが参加する式典を高梨徳実行委員長(=今号人物風土記)のもと挙行する。
![]() 開校当時の日野小
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