2014年度の春の褒章が4月29日に発令され、港南区からは「スポーツチャンバラ」の創始者で、(公財)日本スポーツチャンバラ協会の会長を務める上永谷在住の田邊哲人(てつんど)さん(71)が、長年にわたるスポーツ振興の功績を称えられ、藍綬(らんじゅ)褒章を受章した。
春の褒章を受けたのは全国で707人。県内では1団体が緑綬(りょくじゅ)褒状を受け、6人が黄綬(おうじゅ)褒章、26人が藍綬褒章を受けた。今回区内で唯一の受章者となった田邊さんは、「国内において、この上ないほどの評価をいただけたことは光栄」と喜びを語り、「誇らしいのは、前例のない肩書だということ。まさかチャンバラで天皇陛下に認めてもらえるとは」と笑顔を見せた。
「エアーソフト剣」と呼ばれる柔らかい素材を用いた短刀(45cm)、小太刀(60cm)、長剣(1m)などを手に、互いに打ち合う「スポチャン」。打突の部位やその強弱によって攻撃の有効性が決まり、「一本」を先に取った方が勝者となる。だが剣道と異なり、打撃部位の制約はない。
ルールについて田邊さんは「スポーツは本来楽しむためのもの。安全で、老若男女が誰でも楽しめるものであれば、基本的に自由でいい」と話す。競技人口は世界に拡がり、現在、36万人を超すまでになった。
試合は体格や年齢、性別に関わらず、級や段という階級を基準に行うため、大人と子どもの対戦も珍しくない。「100kg級の大柄な成人男性が、幼い少女にあっさり負けることもある。それがスポチャンの特徴であり、面白さ」。安全性を最重視しており、エアーソフト剣を開発してからは、1度も事故はないという。
「子どものころのチャンバラごっこが原点」と話す田邊さんは、静岡県の由比で幼少期を過ごし、神社の境内が遊び場だったという。「皆、棒切れを持ってチャンバラに夢中になった。スポチャンと違うのは、誰かが泣いたら、それがおしまいの合図だった」
いずれは五輪競技に
高校生の時から始めた剣道を生かして、兄が社長を務める中区本町の国際警備株式会社(現・株式会社KSP)で、新人の護身研修を担当することになり、同社ビル内に道場を開いた。遊びに来た子どもたちが竹刀を振り回す姿を見て、安全に楽しめるようにと塩化ビニールのパイプと発泡スチロールで剣を作ったのが「スポチャン」の始まりだ。
1973年に日本スポーツチャンバラ協会の前身となる「全日本護身道連盟」を設立すると、以降組織作りにも力を入れ、2012年には(公財)日本体育協会への加盟も果たした。だが時には「子どもの遊びじゃないか」と、一笑に付されたことも。それでも「スポチャンを楽しんでくれる人たちが大勢いた。その人たちが今後も歩んでいけるよう、しっかりとした道を作りたかった」と明かす。
全国に130を超えるスポチャンクラブでは、子どもから大人までが汗を流している。田邊さんは「今の時代はいろいろな制約が多く、ストレスのはけ口が少ない。その発散の場としても、スポチャンは必要とされている。いずれは五輪競技にもなるはず」と手応えを語った。
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