港南区・栄区版 掲載号:2015年9月10日号 エリアトップへ

寄稿 戦争体験記〜東京大空襲〜 語り継ぐ戦争の記憶【8】 港南区遺族会 新井 淑雄

掲載号:2015年9月10日号

  • LINE
  • hatena

竹の子貧乏生活

 疎開をして1年余りは預けておいた衣類を売り、蓄えを使っての”竹の子生活”(竹の子の皮を1枚ずつ剥ぐように生活すること)でした。母は職を探し、織物工場に勤めることになりました。祖母は朝4時半に七輪に火をつけ、母が子どもたちの弁当を作り、6時には家を出て4キロ歩いて工場へ向かいました。昼休みに町で夕食のおかずなどを買い、午後6時には帰ってきます。祖母は子どもたちを学校へ送り出し、知り合い宅で掃除、子守りをして暮らしました。お互い貧乏人同士で、寺での共同生活も極めて質素な日々でした。

 昭和22年9月16日、キャスリーン台風のため利根川が決壊して床上浸水となり、近くの高台で半月ほど過ごしました。その時に農家の人と食べ物の差を見せつけられました。近所の人たちであり、決して悪意がないにしても、貧しさは目の前にありました。いつも飢えた気持ちがありました。

それからの日々

 昭和24年春、新しい学制で田宮村立中学校に入学しました。この頃になると、お寺での同居生活から東京へ戻る家族もあり、残ったのは我が家と母子2人でした。共に戦災に遭った遺族で、墓地も並んでおり、墓参りの際は一緒にお供えをします。こうして疎開生活も田舎の生活にも慣れてきました。近所の農家から畑を貸してもらい、野菜づくりをし、その時々の野菜が食卓に上がりました。

 中学卒業後に自分の就職が決まり、母と横浜に向かいました。その後、単身寮生活をしながら神奈川工業高校に入学。20歳で卒業した後、別会社に就職して定年まで仕事を続けました。東京五輪の翌年、1965年に港南区に居を構え、今に至ります。(次回最終回)

 過去連載分は【URL】http://www.townnews.co.jp/postwar70.htmlで掲載中です。
 

港南区・栄区版のコラム最新6

国内最大級の統合施設

〈連載【2】〉 市が描くIR像

国内最大級の統合施設

IRと横浜

10月10日号

市、財政への強い危機感

〈連載【1】〉 誘致表明の背景

市、財政への強い危機感

IRと横浜

10月3日号

語り継ぐ戦争の記憶【9】

寄稿 戦争体験記〜東京大空襲〜

語り継ぐ戦争の記憶【9】

港南区遺族会 新井 淑雄

9月17日号

語り継ぐ戦争の記憶【7】

寄稿 戦争体験記〜東京大空襲〜

語り継ぐ戦争の記憶【7】

港南区遺族会 新井 淑雄

8月27日号

語り継ぐ戦争の記憶【6】

寄稿 戦争体験記〜東京大空襲〜

語り継ぐ戦争の記憶【6】

港南区遺族会 新井 淑雄

8月20日号

語り継ぐ戦争の記憶【5】

寄稿 戦争体験記〜東京大空襲〜

語り継ぐ戦争の記憶【5】

港南区遺族会 新井 淑雄

8月13日号

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 2月4日0:00更新

  • 1月28日0:00更新

  • 1月21日0:00更新

港南区・栄区版のあっとほーむデスク一覧へ

最近よく読まれている記事

コラム一覧へ

港南区・栄区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2019年10月17日号

お問い合わせ

外部リンク