港南区・栄区 社会
公開日:2025.06.26
本郷台に海軍施設
「そこから街が変わった」
アメリカエビって分かりますか?ザリガニです。川で取ってきて窯ゆでにするんです。田んぼを仕切る畔(あぜみち)を歩いて行ってね――。
「”昭和の栄区”と聞いてイメージする風景は?」との問いにそう答えたのは、栄区公田町に住む長沼鶴吉さん(95)だ。頭の中には少年時代の田園風景が浮かぶ。
農業からの転換
そんな栄区(当時は鎌倉郡)に1938年、「第一海軍燃料廠」ができた。現在の本郷台駅付近に50haの広大な敷地を占め、軍艦などに使う燃料の研究をしていたとみられる。
これをきっかけとして、農業中心だった周辺住民の生活も変化した。長沼さんによると軍は田畑だった土地を取得するため、土地を売り渡した人を優先的に燃料廠内で雇用するという条件を示したという。そして住民は農業をやめ、施設内での仕事を選んだ。「地域に一番活気があったのは燃料廠があった頃かも知れない」と長沼さん。現在の消防署付近に置かれた購売部では地域住民も買い物ができ、賑わったという。
また、燃料廠は現在に続く道路網ももたらした。栄区役所地域振興課発行の「栄区郷土史ハンドブック」に掲載されている燃料廠の地図を見ると、現在の道路の形状にほぼ一致。また、燃料廠への通勤客や貨物を大船駅から運ぶため線路が敷かれたことで、その跡地が笠間交差点から警察学校裏に続く道になった。
戦後、そして現在
1945年、終戦を迎えると燃料廠はほぼそのままアメリカの占領地となり米軍の「大船PX」と呼ばれる施設が置かれた。当時は住民が敷地に立ち入ることはできず、そこは事実上の外国だった。そうした状況が22年続いた後、1967年に敷地は日本に返還される。その後、1973年には本郷台駅が設置。徐々に今の栄区が形づくられた。駅周辺に区役所、あーすぷらざ、警察学校など行政関係の施設が密集しているのは、返還された土地を活用しているためだ。
資料に見る住民の活気
大船PXがあった1958年、周辺住民の文章を集めた「本郷連合青年会機関誌『いたち』」という冊子が発行された。ページを開くと「本郷に文化の華よ咲き誇らん」。住民の地元を思う熱が伝わってくる。長沼さんも1ページ分の文章を寄せ、その中でこんな言葉を綴った。「多くの人が種々の問題を協議して、多くの才能の結果がみのって始めて、宇宙旅行も可能になるのではないだろうか」。目の前に占領地があろうとも、市井の人が交流の中から街の発展を目指す。そんな活気が昭和の栄区にはあったのかも知れない。
ピックアップ
意見広告・議会報告
港南区・栄区 ローカルニュースの新着記事
コラム
求人特集
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!













