保土ケ谷区版 掲載号:2020年11月12日号 エリアトップへ

特別寄稿【1】 私の「横浜大空襲」 筆者/市村孝さん(87歳・当時旧制中学1年生)

掲載号:2020年11月12日号

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 戦後75年が経ち、あの惨劇を語り継げる人が少なくなってきている。上菅田町に暮らす市村孝さんは当時、旧制中学1年生だった。本紙では市村さんが実体験を綴った手記を4回にわたり紹介する。

1. 始まり

 75年前、横浜が米軍による空襲で壊滅的な被害を受けた忘れる事の出来ない日である。空襲は午前9時過ぎ、不気味な予感を孕みながら始まった。この日まで本格的な空襲を受けなかった私たち横浜市民は、刻々と伝わる情報から直感的に「今日の『Bスケ』は、横浜に来るんじゃない・・・」と囁き合ったが、不幸にもその予感は的中した。

 竹槍やバケツリレーなどでの防火訓練に精を出した市民には、予想外の焼夷弾による焦土空爆の恐ろしさを知った日でもある。

2.警戒警報から  空襲警報へ

 この日学校(神工・旧制中学:神奈川区平川町)では、校門に立つ上級生が険しい口調で「警報が出た、家に戻れ」と声を枯らしていた。

 やがて空襲警報のサイレンが響き渡ったが、東横線・新太田町駅(この日の空襲で駅舎は焼け、以後駅が復旧することはなかった)からどの様な経路で家に戻ったか今もって定かな記憶が無い。

 自宅は市電「水道道」停留所前(横浜市西区久保町231)にあり、住まいの他は機械工場と鍛冶棟の2棟が建っていた。

 家の前の国道1号線に出て空を見上げると、空を覆うように数え切れないB29の編隊が北西から白銀の機体を連ねて南東方向に飛び去って行く。東神奈川・青木橋方面を見ると、黒煙の凄さから被災の激しさが思いやられた。

 手前の浅間町上空にはその黒煙を背景に、大量の焼夷弾が凄まじいほどの蒼白い煙を引きながら落下するのが見え、「何れは此処も」と思わせた。

 桜ヶ丘・緑地台の陣地から間断なく撃ち出される高射砲の炸裂音、空では被さる様に「空の要塞」と恐れられたB29の唸り、そして地上の生き物の恐怖心を煽り立てるあの「ザーザーザー・・・」を響かせながら落ちて来る焼夷弾の雨である。

 工場では父と工場長が慌しく職人等を指図していたが、父が私を認めると「早く逃げろ!」と叫んだ。二人の姉から「(家に)あがらないで、そのまま此れを持って桜ヶ丘に・・・」とズシリと重いアルマイト製の「ご飯蒸し」器を渡された。

3.避難路で

 私は学校から戻った提げ鞄姿のままそれを手に家を飛び出し、母の居る桜ヶ丘(現:保土ケ谷区月見台12)の家へと急いだ。東海道線を杉山神社前の踏み切りで渡り、東海道古道沿いの天徳禅院脇の急坂を走った。

 一気に坂を登り今来た市街地を見下ろすと、左は母校・神工の在る神奈川から浅間町、高島町方面は白煙・黒煙を出し燃え盛るのが恐ろしいほど間近に迫っている。野毛・久保山の遥か後方の桜木町や黄金町と思しき方角からは、黒煙が空一面を覆っていた。幸いにも自宅のある久保町と浜松町方面は何の異常もなくホッと安堵の胸をなでおろし、真直ぐ伸びた道(現:神戸坂)を急いだ。      

      【つづく】

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