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保土ケ谷区版 公開:2022年9月1日 エリアトップへ

関東大震災 その時、保土ケ谷では 史料から被害を読み解く

社会

公開:2022年9月1日

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地震によって倒壊・焼失した富士瓦斯紡績保土ケ谷工場(現在の区役所周辺)(市政100周年記念「フォトアルバム想い出の保土ヶ谷」より)
地震によって倒壊・焼失した富士瓦斯紡績保土ケ谷工場(現在の区役所周辺)(市政100周年記念「フォトアルバム想い出の保土ヶ谷」より)

 1923年9月1日、午前11時58分。いまから99年前の今日、関東大震災が保土ケ谷の町を襲った。区史などの史料から当時の被害を読み解く。

 「保土ケ谷区郷土史」では、「あたかも遠雷を聞くような、異様な地鳴りを覚えたかと思う間もなく突然強烈な上下動の物凄い大地震が起った。あるいはこの世の終末期が到来したのかと思われ、あるいは、人類最後の幕を閉ずる時かと逃げるも止まるも無我夢中であった」とその揺れを表現している。

家屋約8割が全半壊

 当時は横浜市へ編入される前。「保土ケ谷区史」では「神奈川県震災誌」などを引用する形で各町村での被害統計を残している。

 旧保土ケ谷町では当時の人口約2万2500人のうち、死者627人、負傷者387人、行方不明者が16人。家屋は1429戸が倒壊、半壊が1979戸と、震災前年の総戸数4153戸の約8割が被害を受けている。現在の旭区の一部を含む旧西谷村でも、家屋9戸の倒壊と、56戸の半壊が伝えらえている。

 保土ケ谷町では倒壊した建物で現在の旧東海道が塞がれたり、役場や学校も大きな被害を受けたが、幸いにして市街地での大規模な火災は起きなかった。

工場で被害多数

 一方で、死者627人の多くは町内の工場で働く従業員だった。もっとも被害の大きかった富士瓦斯紡績保土ケ谷工場(現在の区役所周辺)では従業員約3800人のうち454人が死亡。レンガ造りの建物が倒壊し、昼食時で食堂に行きかう従業員の多くが食堂と工場をつなぐ大廊下で圧死した。

避難者受け入れも

 それでも横浜中心部や東京と比べて被害が少なかったことから、他市町村からの避難者も多かった。区制50周年記念誌「保土ケ谷ものがたり」では、一時3万5千人を受け入れていたことが記されている。

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