神奈川区 文化
公開日:2024.08.08
タウン記者の「ちょっと気になる」
大口音頭って何だ?
7月の中頃、大口七島地区の納涼祭の取材に訪れた際、あるフレーズが気になった。
「盆踊りの一曲目は、大口音頭です」
大口音頭って、何だ?そんなふとした疑問から、その歴史を紐解いてみた。
戦後復興期に誕生
一体いつ、誰が作ったものなのか。その答えは1979年に発行された、大口通商店街協同組合の30周年記念誌にあった。
当時の理事長によるあいさつの中で、「創立30周年特別企画として、我々先輩が昭和26年に大口通復興祭の時作曲された大口音頭に振付をお願いし『大口音頭おどり』を披露し後世に残したい」とある。実際に記念誌の中には、図解付きで「右手かざし左足退(しさ)る」「両手をかざし円を作る」などの振付が掲載されている。
そもそも大口商店街の周辺は、大正時代末期までは子安の浜に続く小さな漁村だった。転機となったのは、日産自動車や日本ビクターなどの工場が生まれた昭和初期。人の往来が増える中で自然発生的に今の商店街の前身が生まれた。
太平洋戦争を経て焼け野原となった横浜の地で、いち早く復興の先駆けとなったのが大口商店街。終戦翌年に現在の協同組合が設立され、昭和天皇が行幸で訪れるほどの市内有数の商店街だった。
活気伺える歌詞
そんな時代に作られたのが、大口音頭。1974年に発行された商店街の25周年記念誌には、その歌詞が載っている。
「横浜(はま)の名物 大口通り 星の数ほど 店の数」「安価(やす)い 気安いまた行き易い 横浜(はま)の気質(かたぎ)の 見せ(店)どころ」といった歌詞から、当時の商店街のにぎわいぶりがうかがえる。
記念誌には、作詞は清水みのる、作曲は平川浪龍。歌は菊地章子と白根一夫とある。のちに1950年代にヒットした『岸壁の母』の歌手・菊池章子と作曲家・平川浪竜と同一人物だと思われる。
この平川浪竜についての話をしてくれたのが、元商店街理事長の鈴鹿市郎さん(鈴鹿寝装店)。「平川さんの弟が私の同級生。子どもの頃、大口音頭の話になった時に『あれは自分の兄貴が作った』と話してくれたのを覚えている」と振り返る。
鈴鹿さんは「音頭ができた当時は、商店街を盛り上げようと皆が頑張っていた時代。曲と共に、歌詞も商店街の面影が分かり、良い街だったと想像できる歌が今にも続いているのは良いこと」と往時に思いを寄せた。
ご当地音頭はほかにも
他にも神奈川区には、区制50周年を記念して神奈川区が作成した「神奈川音頭」や、南神大寺小の運動会で全校児童や地域住民によって今でも踊られる「神大寺音頭」などのご当地音頭がある。
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