神奈川区 文化
公開日:2025.08.14
横浜大空襲で全焼した家
白楽在住 花井秀子さん(86)
1945年5月29日、横浜大空襲。白楽に住む花井秀子さん(86)は、当時6歳だった。一家の主であった父は工場で働き、母は妊娠中のため埼玉へ、兄姉たちはそれぞれ集団疎開していた。
自宅にいたのは、花井さんと4歳の弟、祖母の3人。空襲警報が鳴ると、白楽駅に近い寺、吉祥寺(きっしょうじ)の裏にあった6畳ほどの防空壕に避難する日々を送っていた。
門だけ残る
横浜大空襲当日も防空壕へ逃げた。すると工場で働いていた父が「家が焼けた」と告げに来た。防空壕を出ると空には煙が充満し、つい数時間前まで自宅だった場所は、コンクリートの門を残して更地となっていた。「100mほど手前から見た光景が忘れられない。ショックが大きく実感がまるでなかった」。
「兵士の顔はっきり」
ショックが大きく戦時中の記憶は抜けている部分もあるという。B29爆撃機は一列になって「種まきをするように」焼夷弾を落とし、帰りに余った弾を消費する目的で飛行する機体が頭上を通ることもあったという。「低空飛行する機体に兵士が2人ずつ乗っていた。顔がはっきりと見えた」。
空襲警報が鳴ったらすぐさま下着やちり紙を持って弟を防空壕へ連れて行った。「大人たちも余裕がなく、自分が面倒を見ていた」。父から「B29が来たら耳をふさぎ、しゃがみこんで伏せるように」と教わっていたが、「まだ幼く状況を理解していなかった弟に言うことを聞いてもらうのは大変だった」と姉としての苦労を語る。
今「戦争前のよう」
戦時中の情報源はラジオくらいしかなかった。それに対しSNSによって情報があふれかえる現代を生きる若者たちについて、花井さんは「本当に大変な時代を生きていると思う」と話す。「戦争をするか否かは選挙で決められるわけではなく、結局現場で駒にされるのは庶民。流れてくる情報をすぐに鵜呑みにしないでほしい」。
現代の情報社会が持つ危険性を指摘した上で、花井さんは「特定のものを差別する風潮が支持されている今の世の中は、戦争の前を見ているよう。自分が欲しているもの以外の情報も得るために、SNSだけでなく新聞やラジオも取り入れてほしい」と次世代を生きる若者たちに強く呼びかけた。
戦禍を生き抜いた花井さんの言葉は、終戦から80年もの月日が経った現代を生きる私たちに重く響く。
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