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宮前区 社会

公開日:2021.08.13

【語り継ぐ戦争】
すぐ足元に軍の名残り
陸軍軍用地境界標 今も

  • 2本見られる境界標と、階段に埋まったもの(右)

 東部軍近衛師団歩兵第101連隊(通称・東部62部隊)は、かつての防衛庁のあった赤坂、現在のTBSの場所から、当時見晴らしの良かった宮崎に移転してきた。部隊本部は現宮崎中学校体育館の所に置かれ、将校集会所は、青少年の家の所にあった。現生活環境事業所辺りには被服廠や弾薬庫があり、今は被服廠の一部が残る。現虎の門病院から国道246号線を跨いだ先には馬房や装蹄小屋があり、こちらも一部の名残りが見られる。



 これらの軍用地と民有地との境がわかるよう、境界標(=軍標)が埋められていた。長さ1メートル以上の御影石に『陸軍』の文字が彫られ、30センチメートルほどが地面から顔を出し据えられている。



 中原区の平和館に展示されているほか、今も区内に残っているものもある。写真は宮崎第一公園から南側、尻手黒川線に向かう階段。左の写真左下に一本据えられているのを見ることができるだけでなく、階段の一部にも埋め込まれている。長きにわたり境界標を調べている『東部62部隊を語り継ぐ会』をもってしても「なぜ埋められているかはわからない」。



 なお、陸軍軍用地境界標は、区内だけでなく世田谷や渋谷、目黒、相模原などにもあるという。

 

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