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宮前区 コラム社会

公開日:2022.02.04

タウン探偵団 ファイル23
「武蔵野音頭」最後の語り部

  • イベントに参加した保存会メンバー(1999年)=柴原さん提供

 エージェントFだ。タウン探偵団ファイル14で調査した「武蔵野音頭」を覚えているだろうか。当欄では戦後の暗い時勢を憂慮した青年団が、歌と踊りで地域を盛り上げようと作った同音頭の存在を報じた。このほど当時を知る人を紹介してもらったので、今回は続編としてお届けする。



 持田サダさん(92)=有馬在住=は、尋常高等小学校を卒業後に地元の青年団へ。そこで完成したばかりの武蔵野音頭を覚え、数年間にわたって地域の催しの場で歌と踊りを披露。今や当時の状況を知る最後の語り部となった。「土橋や野川、馬絹の地名やタケノコ、野菜、花など特産品の歌詞が入っていて愛着があった。宮崎小で踊ったことは今でも覚えている」と振り返る。



 廃れていく音頭を守ろうと、保存会が立ち上げられ、1994年には、武蔵野音頭記念事業実行委員会(篠田茂男会長・小倉勇実行委員長)が、青少年の家に碑を建てた。改めて碑を見に行くと、裏側には音頭の由来が書かれていた。東部第62部隊跡地の一部を開墾して作物を育て、製作費をねん出したとある。作詩は高橋掬太郎、作曲は大村能章が手掛けた。



 持田さんらと保存会メンバーとして活動した柴原シゲ子さん(84)=土橋在住=は「二人一組で向かい合って踊るので、とても難しい」と地域に根付かなかった理由を分析。「保存会は2004年に解散したが、武蔵野音頭が忘れられていくのは切ない。若い人が碑を見て思い出してもらえたら」と思いを語った。

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