保護司として春の褒章で藍綬褒章を受章した 田野村 順子さん 御園在住 75歳
弾ける笑顔で包み込む
○…保護監察所から褒章受章の「内定」の連絡を受けたのは桃の節句の3月3日のこと。吉報にも関わらず最初は「長くやってきただけ。他にふさわしい人がいる」と辞退を申し出た。慌てたのは保護観察所。「準備してきたので」「そんなこと言わずに」と説得された。「せっかく私のために準備していただいたのに申し訳ないと思い『慎んでお受けします』とお答えしました」と茶目っ気たっぷりに笑った。
○…東京に生まれ、川崎で育った。23歳で結婚を機に相模原へ。川崎の小学校で事務の仕事などに従事していたが、夫の両親の介護などもあり30歳で退職。当時は通院をはじめとする毎日の世話に忙しく、保護司などボランティア活動をすることなど「考えもしなかった」という。近所の民生委員から促され「私で役にたつのであれば」と引き受けたのは、介護が落ち着いた50歳の時。高校時代の恩師に相談すると、恩師は友人で女子少年院の院長の著作を送ってくれるなど背中を押してくれた、と懐かしそうに当時を思い出す。
○…始めた頃は中学校が荒れていた時期。少年・少女も多く、月2回の面接では割烹着を着て話を聞くなど、母親の気持ちで接した。多い時では6人を担当した時期も。「面接は彼らにとっては仕事。ただ私は何とか無事に保護観察期間を終われるようにと祈っていました」と当時の親心を垣間見せた。
○…結婚53年目のおしどり夫婦。年に何度か熱海への旅行を欠かさない。「疲れに行くようなものですけどね」と照れ笑い。夫が植えた庭木を綺麗に手入れするのも楽しみの一つ。椿の花が見事に咲き誇る初夏のこの時期が大好きな季節。庭でさえずるおしどりならぬツグミやスズメの姿が仲良き夫婦と重なった。
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