綾瀬版 掲載号:2014年12月5日号 エリアトップへ

〈第6回〉渋谷氏ゆかりのコースを訪ねる(6) あやせの歴史を訪ねて 綾瀬市史跡ガイドボランティアの会

掲載号:2014年12月5日号

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 房総の武士団は9月後半には、ほとんど頼朝方に付いた。地域での権益や利害関係の調整が先遣隊の尽力で進められたと推察される。

 頼朝は太井川(たいがわ)(墨田川)を越え陸路、武蔵之国を経て10月7日、鎌倉に入った。鎌倉は嚢祖(のうそ)の地であり、父・義朝の居舘址も残っていた。秩父平氏の重鎮、畠山重忠・河越重頼等、秩父平氏一統、頼朝に忠誠を示す。頼朝、鎌倉を拠点と決める。時に治承4年(1180)10月12日、挙兵して未だ2カ月と過っていなかった。

 頼朝の思慮は石橋山の戦い、その後の小競合いの処理と、自分を担いで呉れた東国武士団への論功行賞への配慮に向けねばならなかった。その頃、東国武士団、相模之国の石橋山の合戦に大庭方に付いた武士団はどの様な状態だったのだろうか!?中央の平家方の東国の頼朝の反乱に対する情報収集認識が統一を欠いていたのか…。あるいは宮廷文化公卿生活に浸り、危機意識が低下していたのか…!?東国の反乱への対応が迅速を欠いていた。

 一方、大庭景親は頼朝旗上げの情報を察知し、兄・景義と談合しこれまでの行き掛かり上、平家方に付くも源氏勝利の暁には自分の事を頼むと誓い合ったのだが…。

 一度は西上を試みた景親だったが…時既に遅く、頼朝の軍門に降る。兄・景義の必死の執成(とりなし)もあった事だろうが、頼朝とて冷酷無慈悲な将ではなく父祖重代の恩愛を想う時、大庭氏をはじめ渋谷氏その他、関りのある氏族、処断の対象となるも苦悩す。

 首魁と目された大庭氏は断罪され渋谷氏も苦境に立ち、煩悶があった事だろう。…が、しかし20年前、佐々木一族奥州へ落ちて行く途次、渋谷庄で庇護?された佐々木氏の執成に依って一転、創業を間近にしていた鎌倉幕府の御家人として登用されて行く。

 幕府創業には多くの人材が必要となる。人材は見極めて登用して行く頼朝の将器たる所以であり、側近の臣たるものの務めでもあった。ここに渋谷一族、頼朝の綺羅星の如き帷幕の末席へと名を連ねて行く。

【文・前田幸生】
 

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