綾瀬版 掲載号:2015年2月23日号
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〈第8回〉渋谷氏ゆかりのコースを訪ねる【8】 あやせの歴史を訪ねて 綾瀬市史跡ガイドボランティアの会

 平家・頼朝追討軍、富士川の西岸一帯に宿営するも、行軍の疲れを癒し大河に怯まず秀峰富士山を愛でる余裕があっただろうかが…しかし、この頃既に頼朝軍、駿河・伊豆国を進軍し国境の黄瀬川に着陣。蜂起していた武田・安田氏、源氏ゆかりの氏族達が前哨戦を展開していた。

 平家軍、頼朝追討作戦に暗雲が立ち込めてきていた。迫り来る頼朝軍の情報を入手した平家軍、投降者・脱落者が続出。世に言う富士沼の水鳥の羽音に、軍勢が崩れ去った話は有名である。

 頼朝、一気に平家軍を追って上洛を計るも、上総・三浦・千葉氏等、帷幕の進言を受け容れて10月21日、鎌倉へ戻る決心をする。未だ足元が固まっていなかったのである。…がこの日、奥州から源義経が訪ねて来た。兄・頼朝、弟・義経、腹違いの兄弟とはいえ、万感胸に迫る想いで対面した事だろう…が、しかしもう既に帷幕が形成されている以上、人目も憚らず兄弟の情、表現できなかったか…兄・頼朝に平家討滅を託された義経は、これより修羅の道を行くのである。渋谷一族陣中にあって兄弟の対面をどの様な心情で心境で、列座の中で垣間見ていたのだろうか…。

 この頃、義経の兄・全成も、佐々木兄弟、石橋山の戦いに敗れ箱根山中を彷徨していた時、都より駆けつけ箱根神社を頼っての途上、佐々木兄弟等と邂逅す。未だ他聞を憚る状況だったが、重国これを庇護。今は頼朝の帷幕にあった。兄と弟の対面。全成はもとより、列座した一堂の諸将、慟哭を禁じ得なかった事だろう。

 10月23日、相模国国府まで引返した頼朝は、石橋山以来苦難を共にし、また途中で味方についてくれた諸将に対して論功行賞を行い、新たな主従の確認・確立を行い常陸の佐竹氏他を平定。12月12日、鎌倉の御所が大倉郷に完成。帷幕は頼朝を「鎌倉主」と呼んで祝福した。頼朝の東国政権創出の第一歩となろうとしていた。

 一方、清盛の都・福原の創成計画は清盛の強権政治と富士川合戦敗退等、平家の武的威信は低下の一途を辿り、平氏政権に亀裂が生じ始めていた。また、幾内の源氏・権門・寺院等も反平家の烽火を挙げ始めていた。平家滅亡の微かな足音が争乱の中で聞き取る事が出来なかったか…
【文・前田幸生】

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