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大河ドラマ『花燃ゆ』で注目 松陰の甥は初代校長 小田原高校の吉田庫三(くらぞう)氏

文化

公開:2015年2月14日

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精神教育に力を入れた、吉田庫三初代小田原高校校長
精神教育に力を入れた、吉田庫三初代小田原高校校長

 松陰は1830(文政13)年、長門国萩松本村(現山口県萩市松本)生まれ。下級武士の父・杉百合之助と母・滝の次男。5歳で養子に出され、6歳で吉田家8代目の当主となる。

 1854(嘉永7)年、アメリカのペリー提督が来航していた静岡県下田で密航を企てるが失敗。1858(安政5)年、病気療養で蟄居(ちっきょ)(一定の場所での謹慎)中、討幕計画が露見し再び獄中の身となる。1859(同6)年、安政の大獄に連座し、30歳の若さで刑死。吉田家も処分を受けた。

 庫三は1867(慶応3)年生まれ。松陰のすぐ下の妹・千代と、児玉祐之の次男。松陰と庫三の叔父・玉木文之進が設立した「松下村塾」に7歳で入塾、12歳でその課程を終えた。

 1878(明治11)年、庫三11歳の時に、安政の大獄の大赦で復興した吉田家の11代目当主となった。

尊徳思想が模範の修身

 長じて、漢学をはじめ国文や心理を学んだ庫三は1890(明治23)年、22歳で初めて教鞭をとる。1901(同34)年、第19代神奈川県知事の周布(すふ)公平に請われ、新築校舎の落成とともに開校した神奈川県第二中学校(現県立小田原高校)の初代校長に就任した。

 開校当時、庫三は修身(道徳教育)の授業を担当。二宮金次郎が国定教科書で取り上げられるようになる前から「至誠・勤労・分度・推譲」の報徳思想を教えていたという。

質実剛健の気風を養成

 小柄で痩せていながら、威容にあふれる外見の一方、庫三は情に富んだ人格者として尊敬を集めていた。当時の中学校長には珍しく、年中質素な詰襟服姿で質実剛健を実践。襟巻、手袋の使用や自転車による通学の禁止、外出時も袴と制帽を着用させるなど、生徒たちの規律を厳格に指導した。一方で、宿泊遠足に出かけた生徒を、夜「寒くないか」と見て回るなど、細やかなやさしさも合わせ持っていた。

 1904(同37)年、庫三は約3年の任を終え、和歌山県へと転任。2代目の校長となった阿部伝(つたえ)(のちに宗孝と改名)は、庫三の方針を引き継ぎ、小田原高校の校訓として「至誠無息」「堅忍不抜」を掲げた。

※   ※

 同校の校史展示室には、庫三の写真や、初代総理大臣・伊藤博文が庫三を県第二中学校長に任命する旨を記した内閣文書、庫三が採点した修身の成績表など、ゆかりの品が展示されている。火曜午前10時〜午後2時開室。土・日曜の閲覧希望者は、事前連絡で対応。問合せは【電話】0465・20・3281または【メール】kenyukai@odako.org。なお、同校同窓会では、庫三氏の紹介記事をHPに掲載している。【URL】http://odako.org/web/tayori/cat19/nhk.html

参考資料『小田原高校百年の歩み』百年史編集委員会

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