生麦事件参考館の浅海館長
生麦事件という言葉をご存知の方は多いと思います。この事件と現在の日本文化は深く繋がっています。
事件は、1862年、薩摩藩の行列に乱入した騎馬の英国人たちを、藩士が殺傷したもので、その後、事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから薩英戦争に発展しました。
薩摩藩は戦争時、英国艦隊の使用した砲や砲弾に日本と海外との技術的格差を痛感。鎖国の中、藩士を欧米へ留学させ、その成果は明治維新後に開花します。
明治政府発足後、初代文部大臣に就任した森有礼や外務卿(外務大臣)となった寺島宗則(松木弘安)、海軍兵学校長を経て日本海軍の教育に尽力した松村淳蔵など、外交、軍事、経済など様々な分野で活躍し、日英関係の緊密化、日本海軍を英国海軍式へと成長させ、日英同盟を締結するまでに至りました。
国際共生の始まり
多くの国で「多文化共生」が当たり前となった現代、日本も同様に多人種多文化の人々が共生しています。
この新たな文化を日本にもたらす発端となったのも生麦事件だったのではないでしょうか。この事件がなければ現在の日本は倒幕もなく、幕府の下で鎖国となっていたかもしれません。
生麦事件参考館の浅海武夫館長は「現代の人々にこの事件が多文化共生への発端だということをもっと早く気付き、学んで欲しい」と言います。
この先人たちの倒幕、開国に対する熱い想いも今では歴史の教科書の2、3行に収められてしまい、現代の若者は内容だけでなく、この事件が及ぼした影響についてもあまり認識していないように思います。
受け継がれる石碑
この事件を忘れないように、代々後世に受け継がれてきたものが「生麦事件碑」です。保存するのは生麦事件碑顕彰会。地元の町内会などから成る団体です。現在は町会長を中心に、2年交代制で保存に尽力されています。
「自治会、町内会が存続する限り石碑は絶対に守る」と現会長の八木下勝之さんは、固い意志で保存に取り組まれています。
今回お話を聞き、生麦事件碑がどのような意味を持ち現代に伝えているのか事件の理解を深め、石碑の保存の行方を考えていくのも若者の責務だと感じました。