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港北区 ピックアップ(PR)

公開日:2025.07.10

岸根町
伝説の「琵琶橋」を世に
末永く後世に語り継ぐ

  • 岩田 一清 代表取締役

  • 記念に作られたロゴマーク

 横浜市港北区岸根町に位置する「琵琶橋」は、単なる地元の伝承に留まらない、歴史的にも重要な意味を持つ遺構である。近年、この貴重な遺跡を後世に伝えるための地元有志による活動が活発化している。

諸説が示す重要性

 琵琶橋にまつわる伝説は多岐にわたる。諸説あるなかで例えば、盲目の琵琶法師が橋を渡る際に、その技量を試されたという話や、源頼朝がこの橋で琵琶法師の演奏を聴き、休憩したことに由来するという説も存在する。これらの伝説は、「新編武蔵風土記稿」「横浜の民話」「港北百話」といった多くの書物に記されており、地域の口承だけでなく文献にも残されてきた歴史的な重みを持つ。

 「新編武蔵風土記稿」には、かつて琵琶橋が「丸木二本をもって渡したる橋」であったと記されており、その後当時の有志らにより石橋に架け替えられたことが示唆されている。琵琶橋の脇には、楽器の「琵琶」ではなく、植物の「枇杷」を屋号とする旧家「びわばし」さんがあり、枇杷の木でできた橋に由来するという説も伝えられている 。その「びわばし」さんは、代々この地に暮らす岩田家(株式会社ビルコ・岩田清会長、岩田一清社長)だ。

保存への地元の取組み

 琵琶橋は、新幹線の開通と水田の減少に伴い、1975年頃には根川の大部分が暗渠化され、橋自体も姿を消した。石材は長年放置されており、2021年に琵琶橋の土地の所有権が移転したことをきっかけに、琵琶橋が処分されるのではないかという懸念から、岩田一清さんを中心とする地元有志が保存活動に乗り出した。有志は、土地所有者の神戸哲志さんに協力を依頼し、快諾を得た。その後、大倉精神文化研究所所長の平井誠二さんに相談し、専門家の意見も仰ぎながら、22年7月に整備前の状況調査を実施。同年10月には、ユニック車を用いた石橋の吊り上げ作業と洗浄、仮保存が行われた。洗浄後の調査では、石橋に明治十九年(1886年)、文化十三年(1816年)、明和五年(1768年)の年号が刻まれていることが判明し、250年以上前のものも含まれていることが確認された。これらの年号や人名の拓本作業も行われ、詳細な調査が進められた。

 23年2月には琵琶橋の寸法調査と整備イメージの作成が行われ、24年4月整備工事を実施。そして今春、琵琶橋の歴史と伝説を後世に伝えるための活動の一つとして、案内板が設置され、地元住民らに披露された。

 これらの活動は、単に古い橋を保存するだけでなく、地域に根ざした歴史や文化を再認識し、それを未来へと繋いでいく上で極めて重要な意味を持つ。琵琶橋は、その場所が持つ物語と共に、地域の記憶として守り継がれるべき貴重な遺産なのである。

完成記念祝賀会開かれる案内板の設置を祝う

 案内板設置を記念した「琵琶橋遺跡完成記念祝賀会」が6月28日、岸根町の結婚式場ソシア21を会場に行われ、来賓や関係者、地域の人たちなど約50人が出席した。

 発起人を代表し、岸根町町内会会長などを歴任した浜田正二さんがあいさつ。琵琶橋を遺跡として残す活動の経緯について説明し、「中心になって取組みを進めてくれたのは、岸根町に住む若い二人。岸根の若手が、岸根の歴史の担い手になっていることに大変うれしく思う」と語った。続いて現町内会会長の三田敏幸さんが壇上に立ち、「琵琶橋の昔ながらの古い記憶を後世に伝え、岸根町にこのような歴史があることを伝えていきたい」と述べた。

 また来賓として、神奈川県議会議員の嶋村公さん、横浜市会議員の佐藤祐文さんが登壇。それぞれ、取組みに対する感謝や岸根町の今後への期待を口にした。また、当日出席できなかった鈴木馨祐法務大臣や竹下幸紀港北区長からの祝電が読み上げられた。

整備過程を報告

 発起人のひとりで、案内板設置を主導した(株)ビルコの岩田一清社長からは、遺跡の整備過程と案内板の設置に関する報告が行われた。岩田社長はプロジェクターを使い、【1】琵琶橋の調査、【2】拓本作業、【3】琵琶橋の整備、【4】案内板の設置について語ると、「土地所有者の神戸さんや地域の方々、関係者、職人さんたちとのたくさんの触れ合いがあったおかげで、このプロジェクトを進めることができた」と感謝を述べた。出席者らは感心する様子でスクリーンを見つめ、整備の過程や取組みの成果に拍手を送っていた。

講演も

 式の途中には、案内板の監修を務めた大倉精神文化研究所所長の平井誠二さんによる講演が行われた。地域を知り、地域に親しむためにはその歴史や文化が重要だという平井さん。「案内板の説明を読むことで、岸根が好きになり、岸根の町の風景が美しく見えたり、琵琶橋を渡っていた昔の人の姿が見えたりするようになる」と、その”価値”を語り、そこから見える「鎌倉街道下道」や「みすま耕地」についての考察を述べた。

 平井さんは「今回の整備はゴールではなく、ここからが始まり。今後も岸根の歴史を次世代へとつなげていく活動が続くことを願っている」と話し、講演を締めた。

 式の最後には、岩田社長の父で、同社の会長を務める岩田清さんが、「自分が30年前に始めた遺跡の整備を、子どもたちが引き継ぎ、多くの関係者が深くかかわってくれて感慨深い。岸根の持つパワーを強く感じる」と述べ、関係者や出席者に感謝を伝えた。

 式は飲食や歓談をしながら和やかに行われ、岸根囃子連の演舞が会場を盛り上げた。出席者には、小机町にある和菓子店「折本や」とコラボし、琵琶橋の名前が入ったカステラや、ロゴマークが入ったコースターなどの記念品が配られた。

港北区長竹下 幸紀さん

 港北区は、若い世代を中心に転入される方が多く、名所・史跡の継承は、ふるさとへの思いがつながる大きな力となるものと実感しております。

 今後ますます地域の文化と誇りとして、末永く受け継がれていくことを心よりお祈り申し上げます。

岩田 清さん

 自分ができなかったことを叶えてくれました。案内板は地域の人が琵琶橋の伝説を再発見できるきっかけとなります。岸根の人たちの間に、より一層のまとまりができた気がします。絆を深めてくれた琵琶橋を今後も伝承していきたい。携わって下さった皆様に感謝を申し上げます。

浜田 正二さん

 祝賀会には、岸根に古くから住む人たちが大勢集まってくれて大変ありがたかった。歴史を知ることは町を知ること。何もしないと消えていく、伝説とされるものを形に残せたことがうれしい。また今回の取組みを地元の若い人が興味を持ち、進めてくれたことがありがたい。

神戸 哲志さん

 土地所有者として、関わらせていただくことで、岸根町に古くからお住まいの方々にお会いする機会ができ、皆さんの熱い思いを感じることができました。私は結婚を機に岸根町に住むことになりましたが、今後は岸根町生まれの息子や娘と、地元の遺跡を守っていこうと思います。

市川 直樹さん

 祖父が残した草案をもとに案内文の作成を担当しました。岸根の歴史を知らない自分に出来るのかと不安でしたが、さまざまな立場の方々から意見をいただき完成にこぎつけました。先人達の想いを残し、ひとつ、生まれ育った岸根町に恩返しが出来たかと思います。

「感謝」(岩田 一清 代表取締役)

 ビルコの会社名にも関係している『琵琶橋』の祝賀会ということで、大変うれしく思います。かつて琵琶橋周辺は高札場(当時の掲示板)などもあり、周辺住民が触れ合い、集まる場所でもありました。弊社も地域の方、お客様との触れ合いを大切にして、さらにたくさんの人や取引先が集まる企業に成長してまいりたいと思います。

㈱ビルコ(琵琶橋遺跡完成記念祝賀会)

横浜市港北区新横浜1-12-13-1階

TEL:045-474-3660

https://www.res-blc.com

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