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港北区 文化

公開日:2026.02.12

【菊名エリア特集】
鉄道が拓いた菊名100年の歩み

  • 菊名×鉄道100年クロニクル

    菊名×鉄道100年クロニクル

 菊名の近代化の歴史は、まさに鉄道の軌跡と重なる。1908年、生糸などの生活物資を運ぶ目的で横浜鉄道(現JR横浜線)が開通したが、当時の菊名は駅のない「素通り」の場所であった。

 大きな転機は1917年頃。当初、東京横浜電鉄(現東横線)の本線計画は別のルートを通る予定だったが、通過予定地の住民から「青年の気風が派手になり、軽々しくなる」と猛反対が。対し、菊名の人々は「それならこちらへ」と駅の誘致を熱望し、現在のルートが決定したという経緯がある。

誘致と難工事の克服

 しかし、建設には高い壁が立ちはだかった。交差する横浜線の蒸気機関車は坂道に弱く、貨物列車を通すためには線路を持ち上げることができなかった。そこで先人たちは、東横線側の地面を1メートル以上も掘り下げるという難工事を決断。大雨のたびに浸水し、電車のモーターが故障するなどの苦労を重ねながらも、100年前の2月14日に悲願の開業を果たした。追うように9月1日にはJR側も駅を設置し、菊名は2つの路線が交わる交通の要所へと変貌を遂げた。

住宅開発と街の賑わい

 昭和に入ると「錦が丘」などの住宅開発が進み、街はさらに活気づく。51年には菊名小学校が開校。それまで大綱小学校まで通っていた子どもたちの歓声が街に響くように。

 60年には現在の地区センターの場所に区総合庁舎が完成し、78年に大豆戸町へ移転するまで、ここが港北区政の中心地であった。

 94年には駅の高架化により、ホーム端にあった宿願の「3号踏切」の課題解消が実現。先人たちの情熱が切り拓いた1本のレールは、今も次の100年へと続いている。

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