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都筑区 教育

公開日:2025.12.18

都田西小6年生
横浜大空襲を追体験
緑区・鈴木康弘さん講演

  • インタビューに答える鈴木さん(右)

 都田西小学校(井上強校長)で12月8日、緑区長津田在住で15歳の時に横浜大空襲を経験した鈴木康弘さん(94)による講演会が行われた。

 6年生を対象にした講演会は、井上校長が「ひと・まち」長津田倶楽部の佐々木京子さんに依頼し実現。「戦後80年 平和について考えるきっかけに」をテーマに、事前に児童から募った質問を井上校長が鈴木さんにインタビューする形で進められた。鈴木さんは当時の様子を赤裸々に語った。

ミシン背負って

 鈴木さんは4人きょうだいの末っ子として、中区千代崎町で生まれた。5歳の頃に父を交通事故で亡くし、母は家庭を支えるため、父の仕事を引き継ぎ、洋服店に勤めていた。

 横浜大空襲を知らせる空襲警報は、南区の高校に登校後間もなくして鳴り、すぐに自宅へ帰ることになった。「いつものこと」と自宅そばの裏山に登り、港方面を見ていた鈴木さんだが、この日目にしたのは、数えきれないほどのB29が焼夷弾を落としながら近づいてくる光景だった。「日中なのに空が真っ暗になった。今までとは違うことに気付き、急いで防空壕へ走った」。その後、防空壕の外では1時間ほど轟音が鳴り響いていたという。鈴木さんは「今までに味わったことのない恐怖感だった」と振り返った。

 空襲が止み、中区の自宅へ戻ると焼夷弾が屋根を突き破り、床が燃えていた。母から「いざという時は仕事道具で家宝のミシンを守って」といわれていた鈴木さんは、急いで炎の中からミシンだけを外へ運び出した。

 その後、自宅に戻ったきょうだいとともにミシンを担ぎ、長津田にいる母の実家へ向かった。道中の地面は焼け付くように熱く、厚紙製の靴底は擦り切れてほとんど裸足の状態に。「けがしている人、黒焦げの人、川に浮かぶ人がたくさんいた。助けることも悲しむこともできなかった」

 鈴木さんは「この日まで、日本は戦争に勝つと信じ込んでいた。でも空襲を受けた後は、負けるかもしれないと思った」と話す。空襲から約2カ月半が経った8月15日、終戦を告げる玉音放送を固唾を飲んで聞いた。「音がよく聞こえず、内容も難しかった。ただ日本が戦争に負けたことだけは確信した。勝敗関係なく戦争が終わり、ホッとした」と鈴木さんは当時の心境を語った。

平和の尊さ伝える

 井上校長は最後に、鈴木さんに「児童に向けてメッセージを」と問いかけた。鈴木さんはロシアとウクライナの戦争について触れ「手を取り合う心を忘れてはいけない。戦争は絶対にしてはダメ」と声を張り上げた。

 講演後、児童らは佐々木さん主導のもとM69焼夷弾の模型に触れたり、当時の匂いを再現して嗅いだりする体験をした。またリュックに詰めたペットボトルで、鈴木さんが担いだミシンの重さを体感した。

 児童らは「芋が焼けたような香ばしい匂いで今と全然違った」「焼夷弾は大きくて重く、これが空から降ってくると考えると怖い」など、感想を述べていた。

 佐々木さんは「子どもたちが将来、平和について考える時に、この体験が少しでも心に残っていてくれれば。次回は、地元でも開催したい」と優しく微笑んだ。

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