被災地復興とJリーグ昇格を目指す「コバルトーレ女川」選手 中島 礼司さん 横浜商科大高校出身 31歳
サッカー魂、女川に捧げ
○…チーム本拠地の宮城県女川町では、クラブハウスや選手寮が津波の犠牲に。寮の食堂で家族のように慕ったおじちゃん、おばちゃんも帰らぬ人となった。何もかも失った現地で、チーム総出で支援活動に当たった。知人を見つけては、命一つ生き延びることができた喜びをかみしめ合った。
○…中学時代はJリーグ開幕もあり、サッカー人気の全盛期だった。旭区の横浜商大高校在学中、恩師の鈴木猛監督の紹介を機に、福島FC(当時JFL)練習生に内定したが、経営難で解散し白紙に。高校を出てすぐ海上自衛隊厚木基地マーカスへ。22歳でヴァンフォーレ甲府(当時J2)に入団し、念願のプロ入りを果たすも1年半で退団。「アマは趣味の延長みたいなもの。生活基盤を稼ぐために昼は働き夜練習するという生活がほとんど」。複数の地域クラブを経て4年前、創立2年目のコバルトーレ女川にやってきた。
○…住民票は女川町。09年に選手兼任監督に就任し、1年で悲願の東北リーグ1部昇格を達成した。選手と監督、社員という「3足のわらじ」で結果を出すも、アキレス腱断裂という大きな代償も。監督業に専念し、満足なリハビリもできないまま約2年のブランクに見舞われたが、今後は選手として完全復帰を誓う。「震災で何かをあきらめなきゃいけない人も大勢いる。サッカーを続けることで、町の元気につなげたい」
○…女川の隣町、石巻で被災した恋人の丹野夕映子さん(40)とは、この春に結婚を決意。久々の帰郷で両親の辰男さん、かず子さんを驚喜させたのは、連れてきた夕映子さんの姿だった。2人で婚約指輪を買いに行ったときのこと。空調を止めた店内で、汗だくになる女性店員の姿に心打たれた。「東北から離れた首都圏でも、あちこちで節電してることに驚いた」。感謝の一方で、事態の深刻さを被災地の外から再認識した。「日本全体が少しずつでも通常の生活に戻っていけば」
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