旭区・瀬谷区 文化
公開日:2025.08.21
平和な時代をこれからも
終戦の日に語り合う
「戦争、平和について話せることこそが平和である」「戦争について語り合うことで、次の時代への財産となる」――。”節目の日”に確かめ合ったのは、平和な時代をこれからも続けたいという思いだ。
8月15日、旭区の若葉台地区センターで戦争体験を語り継ぐ若葉の会による講話イベント「戦後80年 戦争と平和をみんなで話し合いましょう」が開催された。
当日は約40人が参加。自身や親戚などが被害にあった体験談を話したほか、直接体験していない世代の人も、平和について自身の思いを語った。
平和教育の充実を
「皆さんの考えを伺いたい」という呼びかけにまず口を開いたのは、中希望が丘在住の山田龍男さん(89)。戦争をしないための教育の重要性を参加者らに説いた。
山田さんは横浜市中区出身で、小学1年生の時に沼津へ疎開するも、空襲を度々受け、学校で十分に勉強できなかった。学校へ行けたとしても、「軍国主義の教育で、鉛筆を落としただけでビンタ。バケツを持って廊下に立たされた」と振り返る。
その後教員となり、旭区の川井小学校、瀬谷区の二つ橋小学校で校長も務めたが、平和教育の不十分さを、学校での勤務を通し感じた。
「歴史の勉強は、明治時代までが中心になっている。以降の時代は詰め込む勉強になっているのではないか」と提起。また、「お金儲けのやり方ばかりでなく、政治や宗教を学ぶ機会を増やし、子どもが戦争について考えるようになってもらえれば」と述べた。
選挙の投票率低下にも触れ、「若い人に選挙へ行ってほしい。国民にとって何が良いことなのかを自分で確かめられる世の中になってほしい」と話した。
日本も加害者
「あの時虐殺されていたら、妻はこの世にいなかった」――。そう話したのは、若葉台在住の川添博通さん(84)だ。
太平洋戦争開戦後の1942年、資源の確保を目的として、日本軍はシンガポールを占領した。その年に発生したのがいわゆる「華僑粛清」。日本軍による一般市民も巻き込んだ虐殺と伝えられる。華僑といわれた中国人の男子を指定した地域に集め、「抗日分子」として判断した人を”一掃”していったという。
当時のシンガポールに、川添さんの妻の父はいた。周りの男性たちが次々と虐殺されるのを目の当たりにし、「近くにいた女性のスカートの中に逃げ込み難を逃れた」という。その後子どもをもうけた。
「日本人も戦争の被害を受けたが、一方で加害者にもなっていた。そのことを知ってほしい」と川添さん。
また、ロシアとウクライナの戦争を念頭に「妻がいるような国と戦争するのはおかしいのではないか。話し合いで解決できるはず」と語った。
夢が見られる世界に
”戦争を知らない世代”も、平和を呼び掛けた。
参加した43歳の女性は、小学校時代の教諭から、戦争体験を聞いていた。「『友達が焼夷弾で顎を飛ばされ、まともに食事できなくなった。足や目に焼夷弾が当たり、不自由な生活を余儀なくされた人もいた』。そんな話を聞いていた」という。
主張したのは、戦争体験を次世代に語り継ぐこと。「先生には、戦争に反対してほしいと言われ続けていた。子どもたちにも聞いた話を語り継いでいきたい」と口にした。その上で、「子どもたちが戦争などを心配せずに夢を見れる世の中を作りたい」主張した。
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