とつか歴史探訪 ■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜第60話 〜柏尾の老松供養碑〜
東海道「柏尾小入り口」の信号から南東へ300mほど坂を上り、柏陽台団地の公園を右折し石垣を左に見て進み、石段を上ると藪の中、心細い道を進むと頂部に「老松供養碑」があります。供養碑の片面は「供養塚」、もう片面は「松枯れて名のみ残れる供養塚」と平戸の三枝木林之助さんが詠んだ句を刻み、明治42年(1909)に川上村下柏尾の人達が建てたとあります。
この供養碑は1mほどの高さですが、台座の上に一ひねりした情緒のある形をして乗っています。此処にあった老松はオーバーなところもありますが楽しい話が残っています。
この松は想像を超える巨木であったらしく、近所の若者は農閑期にはこの木に登り東京湾や相模湾を眺め天守閣にいるような気分になったそうです。松の木は明治初期に枯れてしまったので張り出した下枝で数百の臼を作り、またその先で作った薪は家々に数百束も配られ、数年分の燃料になったといわれています。生活に潤いをあたえ、枯れた後も施しを与えた老松に住民は感謝し、この供養碑を建てたといいます。
この小高いところは鐘鋳塚とも呼ばれ、現在の成正寺の前身である天台宗法満寺という柏尾に初めての寺が建てられたとき鐘を鋳造したところです。法満寺は焼失し鐘は何者かに持ち去られました。成正寺に残されている記録から鋳造後に記念樹として植えられたのがこの松であることが読み取られました。
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