とつか歴史探訪 ■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜第67話 〜殿様の恩に報いる・浅間神社〜
原宿の浅間神社は、木花佐久弥昆売命を祭神として富士浅間神社より勧請されました。神社創建の由来では、永禄3年(1560)。この年は天候不順により関東地方の広い範囲で大飢饉と疫病の大流行に見舞われたことが、浅間神社創建の発端になったと伝わります。この窮状を救ってくれたのが、当時相模東部を支配していた玉縄城主第3代の北条綱成でした。
もともとこの神社の森は、古くは神庭(かむには)と呼ばれ祭礼が行われていたようですが、神庭に安全祈願のための神社の創建・富士山浅間神社からの勧請・援助を行い、村の結束を高め災害復興を盛り上げたとあります。又、この災害は広く越後にも及び、上杉謙信はそうした状況の中で関東に侵攻しましたが、これは作物の掠奪だったとも言われています。玉縄城も例外ではなかった訳ですが、後の4代城主・氏繁の活躍などもあって城は守られました。
神社では、毎年9月には無病息災・商売繁盛・五穀豊穣・平和と安全を祈って祭事が現在に引き継がれています。神社碑には、災害に際し村を援助し救ってくれた玉縄城主の遺徳を後世に伝えていきたい村人達の思いが刻まれています。
参道両側には、常緑高木のブナ科のスダジイの大木が連なり、樹齢600年を越えている姿は見事です。又、境内から望む富士の姿は浅間神社の名にふさわしい眺めです。
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4月18日